カテゴリー別アーカイブ: 社会のこと(私の捉え方)

選挙が終わって、論を読み……

では次に、お固い話も、一応、書いてみましょう(笑)

えーと、最初にお断りを。

この手の話を書くと、違う立場の方が論破すべく

挑んでこられることも、多いそうですが……。

すみません、どれほど勉強不足であろうと、視点が偏っていようと、

そもそもここのブログの意図が、「これが今の私です」という紹介です。

こうした話も、その一面についての表現でしかありませんので、

私個人の言論の自由については、どうか守らせていただきたく存じます。

お怒り・ご不快を感じられる点がありましたら、どうぞお許しください。

そして、怒りやお叱りのコメントをいただいたとしても、

私は反応いたしませんので、何とぞご容赦ください(^^;)

まず、今回の選挙の結果については、語れる材料がない。

結局は、経済問題のみが重視されたんだな、と、思うくらい。

いろいろ目にした論のなかで、憲法改正、武装、原発、基地移転、

隣国との関係、TPPのことなど、たくさん語られていたけれど、

私はまあ、デカいテーマについては「100年後」という観点でも考えてしまうことが多いので、

憲法改正→武装したいがための憲法改正は不要

武装→不要

原発→代替エネルギーへ転換してできるだけ早期に廃止していくべき

基地→沖縄県民の生活の糧問題と安全性、両方の観点から国家として配置を見直すべき

隣国→怒り合いしてる争点が、そもそもずれているように思える

TPP→政府の「守るべきものは守る」はつまり、「鋭意努力します」と同義でしかない、

農業は痛い面のほうがあきらかに多いと思うが、企業のメリットと比較されたのだろう

という感じである。

武装はね……現段階においてはまだ、

「戦争特需」「武器産業拡大」をもくろんでいる人たちが

ネット右派の方々の不安を盾にして、推進しているように思えてしまう。

不安から武装する、というのは、根拠薄いのだもの。

ヨーロッパの国々との比較で語られることが多いけれど、

えー、そもそも、あのエリアは、紀元前の頃から延々、

民族の大移動やら領地争いやら信仰争いやらを、

それこそ2000年規模で繰り広げてきたお土地柄。

お隣の大面積の国も、一応、4000年、民族による支配権争いを

続けてきたわけで、それは「陸地が続いているからこそ」、

もう、直接的に危険だったという話、と思っている。

領土問題であんなことされてるのにのんびりしてる場合か、という

不安な気持ちはわかるけれど、武装することのほうが

あきらかに、デメリットが大きいと思っているのだ。

過去、イラクに大量破壊兵器があるという言いがかりがついたように、

「武装した」ということが、却って隣国に、攻撃のきっかけを与えてしまいかねない、

武装とはそんな諸刃の剣だと感じられるから(ちなみに、

かの貧窮している隣国がもしミサイルを発射させるとすれば、

それはもはや、こちらの武装の有無には関係なく、結局は、かの統率者による

狂気の自爆行為として行われるはずであると思える) 。

平和ボケして危機感がなさすぎる、という批判もなあ。

戦争を忘れているつもりがないからこそ、の気持ちなんだが。

公平とは言いきれない敗戦処理としての、それでも国際裁判として

公式に行われた東京裁判では、

東条英機の親友(!)でさえあったとされる当時のビルマの元首相から、

せっかく、他国からの占領を解放してくれたはずなのに、

日本はその国を結局、あらゆる点で日本流にしようとした。

日本人の視点のみを用い、日本人のやり方、日本人の文化思想を強制し、

日本の国益のみを考えるようにと、それ以外のことは一切、顧みてはもらえなかった、

という趣旨の発言をされてしまっている。

他国に「協力」したにも関わらず、これほど「誤解」(と表現してみる)をされることに

なってしまった原因は、結局、他国を日本国にしようとしたせいなのだ、と。

これは裁判という場であるがゆえの、他国からの点数稼ぎの批判なのだろうか?

相手側のひどく自分勝手な解釈による、逆恨みの意見なのだろうか? 

先ほど、日本は陸続きではない、と伝えたが、

それが海外と比べた場合「本当に切迫した日常的武装」の必要性を

脆弱と思わせる一方で、陸続きでないからこそ「国体主義」という思想も

長い年月をかけて熟成されたのだと言われていて、

うん、それにも気をつけたいよな、と思えるのだ。

江戸時代の国学者でさえ、「神風」によって守られていることを、

普通に信じていたそうだしね。

この辺の話については、学生時代、マスコミの勉強の際にいろいろ読んだのだが、

いちばん説明がまとまっていると思えるのが、

鶴見俊輔氏の『戦時期日本の精神史』(岩波書店刊)であると思えて、

それだけは今も手元に置いている。

左翼的、と言われながらも、左翼になりきらない人という批判も受けている、

ちょっと面白い人だと思う。

面白いと思える、ということは、私も少し左寄りなのだろう。

いや、愛国心はあるのだが(笑)

上記のような理由からさらに同様に、核技術というもの自体が日本に(というか地球に)

もうこれ以上、必要ないと思えるため、原子力関連技術を発展させることは

現段階では最重要事項でないと思えるし、そもそも200年以上の廃棄物厳重保管を、

この地震国で子孫に強いるのは申し訳なさ過ぎると思える。

すでにメルトダウンして、その回復どころか現状維持のための汚染水さえ、

適切に管理できてない。

その逆境を無理に乗り越えてでも、この技術で先に進まなければいけない未来があるとは

思えないのである。

ただ、基地と廃炉については、「その土地ですでに産業として定着し、

それで暮らしている人がいる」ことを、

どう代替産業などで解決していくのか、が、いちばんの問題であろうと思う。

だから、単に廃炉だけでなく、実際に使える自然エネルギーの開発への代替を

もっと急務としてほしいと願う。それがスムーズにいくことになる方法だろうと。

二酸化炭素の光合成技術、なんとか早く発展しないかな……(^^;)

TPPについては、もう、アベサマの頭の中では参加が決まっているので、

見守るしかないのだろう。

守秘義務が始まったら、きっと、決定事項だけしか教えてもらえなくなるだろうし……。

あと、目にした論のなかで、沖縄の人たちがわりと、アメリカより中国に協調的なことを

やはり、バカにしている人たちがいたが……。

少なくとも15世紀頃から江戸時代の終わりまで、あそこは実質、

中国・台湾と密接な関係を持った「琉球國」であり、

アメリカ軍に上陸されて人がたくさん亡くなり、戦後にはなんと占領までされて、

交通ルールから何からすべて、アメリカ国にされてしまった(言語は禁じられなかったが)

そんな土地であり、ほんの40年ほど前までは、出入りにパスポートが必要で……。

その記憶ゆえに、基地があることがなおさら苦しい反面、

生活の糧になっている面も大きく、

なんだかんだ、かなり複雑なわけで……。

本土の人間が表面的に、あれこれ言えるかどうかの判断は、せめて、

ひめゆり平和記念館くらいは実際に見てからにしてほしい、と、切に願う次第である。