カテゴリー別アーカイブ: その他、気になることなど

広告宣伝って……

 それに関わってきた私が言うのもなんだけど、

気をつけないとあっという間に「嫌がらせ」と紙一重になる。

いわゆる「押し付け」の部分がどうしてもある、ということね。

これって、広告の仕事をしている諸先輩方、

とくに一流デザイナーさんなどからはときにビシバシ怒られながら(笑)、

話や感覚としてたくさん、教えられてきたことなんだけど。

そういう方たちは、だからこそ、パッと咲いてパッと散る、

つまりよい印象や余韻を最後に残す、というところに

自分の能力を発揮しようと、その仕事にかけておられていて。

昔、紙媒体が主流だったころから、新聞の折込チラシでも何でも、

興味ないものが混ざってたらゴミが増えたとしか思ってもらえない。

それが、広告というものの、基本の形。

そういう一方通行な面をはっきり認識したうえで、

「それでも良いほうへ認知してもらう」ために

一所懸命に考え、表現していくものだと、私には思えている。

で、個人向けの、ネット広告の手法記事などをたまに読んでみると、

なんか気持ち悪いことに「顧客ってこんなもの」という適当な決め付けで

いかに「自分が楽して早く儲けるか」が、最近なのかな、わりと主流のようで。

そういうのに限ってまた、マーケの用語装飾(笑)も豊富。

まあ、短期間しか通用しないやり方で

黒いことやってる人は別として(これが何を指しているかは

ご想像にお任せします)、ある程度まで儲けようとするなら、

告知を楽してなるべく安価な手法で、しかも早めに

たくさん稼ごうとすること自体、「投機」に近い

一種のヤマ師のやり方だと、気づけているはずなんだけどなあ。

で、良いヤマ師でも悪いヤマ師でも(笑)、

ヤマ師になるって、かなりの技術も才能も必要なんですけど。

単にアイデア云々のみならず、知識、感覚、

人の懐になんとなくスルッと潜りこめる性格も含めて、ね。

誰とは限定しませんよ、いっぱいいるから。

たとえば代理店形式でモノを販売するのを始めて

成功させた人なんかがその典型例。そういう人こそ、

『先に』自分を信用してもらうのがすごくうまい。

で、ネット上で、別にヤマ師ほど短期集中・一発勝負でなくても、

この『先に』を普通に、いい意味で使っている人も

たくさんおられて、やはりそういう人は

「わかりやすく」成功されている。

私はホームページ制作のためのSEO関連のからみから、

ネット上のビジネスを上手にやっておられる方の様子等、以外は、

対策情報をある程度の知識として知っているだけなんだけど……。

ネットを用いての告知や商売、たとえばアフィリエイトにせよ、

せどりにせよ、その他、商材販売や広告収入狙いなどであっても。

それなりの成果や収入を上げたいなら、告知・宣伝していくうえで

きっと「その人自身」がある意味、商品的な価値を持って

他者から信用『も』されていかなければ、安定や大金には

結局、つながっていってないんだな、と思えるのだ

(昔、友人つながりで、先物取引のデイトレーダーをやっておられる人の

話を聞いたことがあるけれど、集客系以外のネット投資ビジネスで

個人的に本当に儲かっている人は、そもそも自分の

極めつけの稼ぎ方法は公開したがらない、という習性も

傾向としてあることは教えてもらった)。

そういう部分で、SEO対策と銘打って

行き当たりばったりで自動ツールを使う人なんかは、

マーケティングの言葉にあれこれ踊らされ、

自分自身が「ネギ背負ったカモ」になってることに

そろそろ気づいてもいいのでは、と思う。

もちろん自動ツールそのものを、安易に否定しているわけじゃない。

たぶん最初のころなら、ネットビジネスをやっているもの同士は

連携するきっかけになるのだろうと思う。

人脈を広げる、という部分で「同じ思考や目的」の人なら

集めやすいんだと。

でもそれをなるべく大きく使って、つまり

広告においても商品等のよさを理解してもらう「信用」へと

つなげていくためには、

マーケ的な研究や工夫はやっぱりかなり必要だろうし、

自分がそもそもどういう方向の広告手法なら向いてて、とか

そんな分析もだんだんそこに、関わってきて……。

それを無視して、ただツールの使い方を素直に信じて

適当に安直に使ってたら、よい稼ぎにまでつなげるのは

なかなか、困難だろうなあ、と。

「ま、他者のことなんてどうでもいいんだよ」なんて人も、

イヤな話だがもしかしたら増えてるのかな、とも思うけど……。

でもたとえ黒い方向のことしてたって、よほど自分が割り切れない限り

「成功」は難しいよね、やっぱり。

たまたま最近、同じような商品内容のアフィリブログへ

誘導したいのであろうか、

毎日何回もペタをつけてくれる(笑)人がいて。

大量アカウントの数戦術でアメブロ登録されているようなので、

その人(たち?)のところからいろいろ関係をたどっていってみたのです。

そうしたら、ペタをつけてくれているご本人かどうかはわからないけど

ある人のところで、プロフィールだったか、なうの画面だったか

「人に毎日、嫌がらせするのが生きがいです」という発言にたどり着き、

爆笑したことがあった。

そう、まさに、自動ツールは「そういう方々に『も』うってつけ」の

使い方ができるのです。

広告は嫌がらせと紙一重、の部分を、みごとに

「嫌がらせ」のほうへ絞って使っておられて、ある意味、王道(笑)

なのでまあ、天晴れとは思えました。

*:・( ̄∀ ̄)・:*:

とはいえ消すし、通報もするんだけどね(笑)

なんらかのビジネスを「したい」なら、

つまりはそれって、商売、ってことになるので……。

「自分がいかに『信用』されるか」という、超・当たり前の

基本中の基本は、やはり(ある程度、稼いでいきたいのであれば)

大切にされたほうがいいんじゃないですか~、などと思う。

それは広告宣伝を、従来の手法でも行っている

上場の株式会社だけに限った話ではないのだと。

私がふだん、読者登録をさせていただいている方々の記事が

昨日いくつか、そんな話だったので、ふとそう思ったのでした。

あなたもまた「顧客」のひとりなんだから、

儲けたいなら「自分が顧客」って感覚を大前提にすれば?

って、意味わかるかなあ、誰に話しかけてるのだろう、私(笑)

 

 

不思議なこととか、神秘的なこととか

メインブログにも書いたことがあるけれど、

私は、自分が「死ねなく」なったあと、「なぜ生きていいのか」を

知るために、宗教、心理、哲学、その他社会的なこと、歴史も含め、

情報を探し求めた時期がありました。

「生きてちゃいけない」という思いのピーク時で、

本気で死に方を迷って、怖くて。

でも生きていていいと思えず、どうすればいいのかと

ひたすらおびえていたときに……友人が急逝し。

その衝撃でしばらくは死ねないな、と思っていたら知人が自死し。

これでもう、自死はやっぱり無理じゃないか、と

思って、回復も視野に入れて生き始めたら、別の知人が連鎖で自死した。

どうしよう、と思っている2年半の間に、自分がこんな

「死ねなくなるようなこと」を(まあ、そういう方向へ

私がわざわざ受け止めた、という説もあるが)

3回も経験するなんて、何の意味があるんだ? と思ったのです。

で、死んだあとに何があるのかも本気で知りたくて、

世界3大宗教の本や講話、さらにより原始的な宗教の話や

伝記なども読み漁り、三輪明宏さん、江原啓之さんなどをきっかけに

海外のスピリチュアルな本も読み……。

他にも、心理学、医学的見地からの死、哲学的な生、

医学家や宗教者の語る臨死体験、宇宙や生命の成り立ち、

次元、空間、時間の理論等々。

気になるものは、片っ端から探しては読んだ。

生とは何なのか、死とは何なのか。

その答えは、結局、見つかったわけではないです。

でも、なんかね、感覚的に。

人智を超えているものは、ありそうに思えた次第。

私の身体は、昔、星だったもの(そこに含まれていた成分)から

主に成り立っていて、

その星が「寿命を迎えて爆発」してくれたからこそ、

地球にまで届いて、今現在、私の身体の一部になっている。

星の寿命? 生命体でなくても、私たちはそういうふうに、

ものごとを捉えている。そういう仕組みを持っている。

寿命が来たら活動をやめる(姿を変える、つまり変化する)、

という「ルール」を当てはめることができるのは、

生命体に限らない。変化はずっと、今も起こり続けている。

そしてこの生命体、と呼ばれる地球上の生物って、

小さな惑星、地球の「おもに地表上」にいる(海も含め、

星の内部、ではないという意味で)。

で、人間が住む陸地に絞って考えてみると、

「海の底でない地表」って、

地球の表面積のうち、30%しかなくて。

その30%のうち、山脈や森林や砂漠など

命にとって過酷な条件の地域も除いた、

さらに少ない面積の土地に、私たちは住んでいて。

上に伸びるといっても、建物ってせいぜい、

今のところのデータでは1,000m程度が限界っぽいし

(耐震構造上の関係らしい)、

飛行機だって最高13,000mの上空を行きかってるだけ。

宇宙のサイズ、規模から考えれば本当に、

どこにしがみついているのか、っていう存在。

そんな小さい範囲で、一緒に生きてるのに、

より強いだのよりエライだの、こっちのほうが正しいだの、

そんなことを証明するためだけに、小規模、大規模、それぞれに

ののしりあったり、殺しあったり……。

しょうもないケンカをそれこそ、何百年も繰り返してて。

「人間という生命体」、その視点で見たとき、

それって本当のところ、どうなのよ、と。

権利とか云々、言い張って、他者を平気で傷つけられるのって何?

じゃあそもそも、あなたが自分で、

自分や他人の命の仕組みとか、身体を作ったの? って

思えたりするのです……。

で、さらに。

なのに確かに、私はここで、今、呼吸している。

これって何なのだろう、って思うと「もうわからんよ」となる。

そんな簡単にわかるようには、できてないのじゃないかと。

科学で証明されうることだって、まだまだ限界いっぱいあるし。

この「もうわからんよ」っていうのって、

人智を超えてる、ってことでもあると思う。

さて。

怪しい部分にも触れていきますよ。

親子や兄弟・姉妹などの間で、互いの身に異変が起きたとき、

遠く離れていても、それを感じ取ることが「実際に」あるという。

双子のどちらか片方が怪我をしたとき、離れていたもう1人も

同じ箇所に痛みを感じた、とか。

これは世界的にも研究されていて、日本でも東大だったかな、

子どものころから双子の成長記録を本気で追いかけてます。

これはまあ、ね、人と人とのつながりなんだから、

よくわからないなりに「ありうる」程度で

済ませられる、と思える人もいるでしょう。

では次。

私が中学生のとき、ある友人から、

その子のおばあちゃんの話を聞きました。

すごくインパクトある話だったから、覚えてるんですよ。

中1のときのことです。

このおばあちゃんは、友人いわく、すこぶる「勘のいい人」らしい。

ウチのおばあちゃんね、この前、外へ買い物に行ってたの。

そうしたら途中、なんかすごい「いやな感じ」がして、

急に、家のことが気になったから、

買い物を切り上げて家に帰ったんだって。

そうしたらなんと! おばあちゃんの家に、

泥棒が入ってたのよ!!

その泥棒がつかまったのか、逃げたあとだったのかは、

定かではありません(確か、入って去ったあとに

おばあちゃんは帰宅した、かもだが、すみません、忘れた)。

そして孫であるその友人は「ウチのおばあちゃん、すごいよね」で

終わってましたが。

さあ、これはいったい、何なんでしょ? って話。

第六巻? 家が、何かをおばあちゃんに知らせた?

でも家って、生命体でもないのに?

それとも家のなかの「何か?」 何かって何?

えーと、おばあちゃんの結界範囲、とか?

はい? そもそもじゃあ結界って? 

……正解なんて、わからないよね、これ。

宗教的な話で「説明をつけようとしたら」

よく使われそうな何かの言葉で(それこそ結界とか)、

なんとなくつくかもしれないけど。

「そんなの嘘だよ」って言葉で、片付けるのも簡単。

でも孫に「わざわざ」そういう嘘を言うおばあちゃん?

わりと仲もよさそうだったのに?

つまりは、そう、わからない。

で、自分がわからないからって「それは嘘」とも言い切れないのです。

全部、嘘とは限らないのでは、と。

別に、超能力者が全部本物だとか、霊魂は本当にいる、とか、

そういう過激で端的なことを言ってるわけではありません。

でも、ない、とも「絶対」には証明できないもの、でしょう?

それを嘘、と言い切るのって、実は「信じたくないだけ」かも。

なぜなら、わからないものは、怖いから。

わからないものは、当てにはならないから。

場合によっては、それがもし本当なら、

自分にはないので「うらやましい」、あるいは「悔しい」から。

心の奥では、そういうことかもしれないんですよ。

ゆえに、「認めたくないという拒否」が働く、と。

で、最初の話に戻ります。

私に実際、起こった、3回の、

(あえてこういう表現をしますよ)タイミングが合った、他者の死。

そのそれぞれに、私にとってのみタイミングが合った「偶然」3回が、

たまたま私に対し続いた、ってことでしょうか?

私には「もはやわからない」のです。

ただ「偶然かどうかわからない」という程度には、

自分なりに「謙虚」である、とは思えています。

自分に目立った「能力的なもの」(超能力とか、霊が見えるとか)が

備わっていないからといって、

私の経験は単なる偶然である! とか

他人のそれらを「完璧にイカサマ!」と断言できるほど、

私は、確たる証拠を持っているわけではないのです。

人智を超えた形で今、自分がすでに存在している以上

(私は自分の命を自分で『作って』はいませんし、

成長の仕組みづくりにも『関わって』いないのですから)、

そういうものが「そういうふうに見える、現れる、表せる」人が

いないとも限らない。いても、おかしくはない。

ただ、私がわからないだけで。

私に起こったことも、なんらかの意味があるのかも、と。

はい。ですので、単純に信じる、信じない、ではなく、

可能性としての話で言えば。

そういう人はいる、また自分にさえ起こる「可能性がある」、ということを

私は、否定できません。

それを「じゃあ信じるのね」と言われれば

「否定できないという私の言葉を、

あなたはそう受け止めるのですね」ってことですし、

「信じてないの?」と言われれば

「自分では証明もできないので、わからない」となります。

ま、感覚的には、

人智を超えて届く・その他、の「何か」があったほうが、

しかも「心が温かくなる方面」のものならなおさら、

あったほうがいいよね、うれしいよね、というところです。

なので、もしあった場合には、私は気づけないんだけど

相手にちゃんと届くかもしれないので!

私はとくに、心が温まる方面の気持ちについては、

ちゃんと丁寧に「こめる」ことにしたい、と思えています。

対人にせよ、モノを相手にするにせよ。

もしかして、いつか「何か」が泥棒を知らせてくれたら、

それだけでもちょっと助かるかも? などと

楽しく想像できたりもしているのです(≡^∇^≡)

ある種の、衝撃の味(^。^;)

まさかこんな記事を書くことになるとは思わなかったよ、

しかも食べもの話で……。

ウチの近所にある、ある甘味処。

結構、古くからやってる雰囲気で、

団子や大福やその他、生和菓子を店頭販売していて、

奥には喫茶室もある。

過去に、某グルメ系の番組でも紹介されたことがあった。

でも、店自体がなんとなく雑然としている感じだったし、

私の自宅&買い物エリアからは少し離れていたので、

とくにそこで甘味ものを買ったことはなかった。

今日、たまたま通りかかって、一度買ってみるか、と、

みたらし団子と、よもぎ餡団子、大福餅を買ったのですよ。

でね。

帰ってきてまず、みたらし団子を食べてみたら……。

タレが醤油味。

かなりしっかり、醤油味。

正直、塩辛いというか変なタレ味で、

団子は、なぜかネットリしすぎ。

次、気を取り直してよもぎ団子。

串に刺さったよもぎ団子の上に漉し餡が乗っかっている。

……渋い? 苦い? 餡が、甘いのか何なのか、よくわからない味。

よもぎ団子は、よもぎの香りと味は少しするけれど、

やはりネッチョリした口当たり。

よもぎのせいで苦味があるのか?

いや、これはいわゆる『渋抜き』不足?

自分でぜんざいなどを作ろうと、小豆を炊くときは

必ず最初にゆでこぼしをするし、そもそも250gくらいしか扱わないから

小豆の『渋』の味って、よく知らないんだけど。

もしかしたらこれ?

この、何ともいえない『変な苦味っぽいもの』が

小豆の『渋』、なのか?

そこに砂糖味が混ざり、なんだかもう、

餡ではなくなっているような味わい。

私の知っている範囲の、普通の小豆餡の味がしない……。

最後に粒餡の大福をかじり、確信。

渋抜きしてないのか、足りないのか、

小豆の質が悪いのか。砂糖味もビミョー。

缶詰めのゆであずきよりマズイってどういうこと?

……決して、私の口が、肥えてるわけではありません。

甘すぎると感じることはあるけれど、

亀屋万年堂の餡ものだって、おいしくいただきます。

たとえ高級でも、全般に好きな叶匠寿庵だって

「一壺天」 (大粒の栗が一つ、美しく小豆に包まれていて、

その小豆が艶々なの♪)はもう少しだけ甘味を抑えてほしいなとか、

普通に値段と味の比例について理解しつつ、判断しているつもりだ。

が、しかし。

餡ではなくなっている気がする小豆ものに出会ったのは初めてで……。

たぶん『渋』であろうものが、

小豆+砂糖をこんな味わいにしてしまうと知ったのも、

生まれて初めてで……。

悪いとは思いつつ、よもぎ団子と大福餅は、残しました。

気持ち悪くなりそうな気配がした……。

なぜ、あの店が続いているのかも不思議だ。

店のおばさんがバンカラ風だったから(笑)、気さくなのだろうか?

いずれにしても、見た目が小豆で味が未知のものに出会ってしまい、

たぶん『渋』だろうから、これからもちゃんと

渋抜きして作ろうと思えたのであった。

200と数十円で、またひとつ、こんな形で

料理の大切なポイントを(笑)学びましたわ……(^◇^;)

下ごしらえって、やっぱ大事だっ!!

怒りの調節、怒りの連鎖

怒りが出たとき、たとえば、つい自分が

相手にかなりキツくあたってしまうのはなぜだろう。

また、人から怒られたことを、自分が引きずっているのはなぜだろう。

あるいは怒りの連鎖。

腹が立つから目の前の弱者に向けて攻撃する。

八つ当たり的なものも含めて。

さらには、自分で自分をどう評価しているのか。

どれくらい自信を、どんな自信を持っているか。

周りに対するどんな価値観を持っているのか。

そうしたことを知る、ひとつのきっかけになるかもしれません。

体験版ですが、怒りについてのテスト。

12の質問項目も

その結果も

面白い、と思えたものが

あったので、ご紹介しておきます。

知り合いのセラピストさんが、

情報を教えてくれました。

テストを作成したのは日本アンガーマネジメント協会。

怒りのマネジメント、ですね。

この協会、理念もなかなか興味深いです。

まず少しだけ、ピックアップしてみます。

************************************************************

アンガーマネジメントができれば、
自分が怒る、怒らないを自分で決められるようになります。 

多くの人は、自分がイライラするのは、誰かのせい、
何かのせいだと信じています。

それは間違っていますし、そう思うことは
大きな不幸を背負うことです。

もし自分がイライラするのが、誰かのせい、何かのせいであるならば、
あなたの感情は誰か、何かによって簡単に
コントロールされているということです。

言い換えれば、自分でこれは怒る、 怒らないを
決めていないということです。
まわりによって怒る、怒らないを決めているということです。

アンガーマネジメントができれば、誰かに怒りをぶつけられても、
誰かにぶつけかえす必要がないことがわかります。

そうなれば、

あなたのところで
社会で

連綿と続いている怒りの連鎖が断ち切られます。

************************************************************

怒らない、ということを目指すのではなく、

マネジメントする、という視点。これもひとつの捉え方ですね。

よかったらぜひ、やってみてください。

ちなみに私は『威風堂々タイプ』。

一見、怒りとは違う話に思えましたが、

深く学ぶときっと、リンクしていくんだろうな、と思えます。

感情の話ですから、性格にも関わるだろうと。

興味を持っていただくために、

協会さんの出してくれた私の結果をあえて、

今回は画像のまま張らせてもらいます。

この結果の版権はアンガーマネジメント協会さんにあるので、

勝手に画像をお借りすることを、心からお詫びいたします。

画像は、押すと拡大できるかと。 

頑張って、他者から認めてもらうのが大好きだった私……。

そこから少しゆるみつつあるとはいえ、イタタ(>.<)まさに、です。

●日本アンガーマネジメント協会
トップページ
(理念や協会組織についてここから読めます)

http://www.angermanagement.co.jp/

●日本アンガーマネジメント協会
怒り体験版テスト
(無料ですが、結果を見るにはメルアド登録が必要。
Yahoo!などのフリーメールのアドレスも使えます)

http://www.angermanagement.jp/angertype_td/start.html

ただ、スマホから見るとPCのホームページ形式になっているので、
ガラケー型の携帯から見られるかどうかは不明です。
ゴメンナサイm(_ _)m

自己満足のためだけの?

このところ、本ブログもこちらも、

更新をご無沙汰していてすみませんm(_ _ )m

8月20日のアメブロメンテナンスの際、

まずメンテナンスがあること自体、なんだかイヤになりまして(笑)……。

次の日が休みだったので、記事を書いておきたかったのに、と。

ついでに見春屋のホームページと、アメーバのブログ2本も

まとめて見られるようにしたいとは考えていたので、

それを最近覚え始めた(笑)WordPressという、ネット上に

ブログを作る仕組みを使って、作ってしまおう、と決めました。

記事は単純にバックアップ代わりなので 、

Googleで検索した際にアメブロとWordPressの記事両方が

結果表示されるわけでもなく(Googleさんがそういうルールにしている)、

単に3つをまとめて読める、という自己満足と、自分がWordPressを

覚えたいがために、急に思い立ったわけです(笑)(^^;)

さてこの仕組み。

当然ながら、初心者が一から作ろうとすると、とても大変です。

なので、すでにあるものを、少し改訂することにしました。

ところがどっこい(笑)、すでにあるものでも、

3つをまとめるとなると、やり方がいろいろありすぎて(^。^;)、

まずどれがいいかを検討しなくちゃいけなかったのです。

目標は

・メニューボタンを押せばそれぞれが読めるようにする

・スマホ用、携帯用に、自動的にデザインを変えてくれるものにする

・どれで閲覧してもできるだけ読みやすくする

の3点。初心者なので、これをできるだけラクにできるよう、

検討しました。逆に言えば、これ以外は 、

仕組みをあまりいじらなくてもよいようにしたいと(笑)

そんなに絞ったのに、それでもなお、やり方としては

いくつかの方法があり、データを置かせてもらうレンタルサーバーという

大家さんのところのルールもあり……。

それを理解しながら試してみる、を延々繰り返して、

やっと、まあ、体裁は整いました。

本当はもっと管理がラクになるようにしたかったのだけれど、

なぜか大家さんが一部、対応してくれてなかった、とか、

PCとスマホはまあいいけど、携帯でダメだわ、とか、

なんだかんだ、制限も見つかり……。

結局、WordPressという仕組みを使い、同じ大家さんの土地に、

隣り合ったホームページという建て売り住宅を3軒建てるようなものになりました。

やがては、デカい1軒を3つでシェアして使えるようにするつもりだけれど、

そこは大家さんのことをもっと理解したり、

土地のことや家のこと、WordPressという仕組みそのものを

私がもっと勉強しなくてはいけないのでした(笑)

そんなこんなで作業に没頭し、更新止まってました、スミマセン(^^;)。

まだまだ、URLが似たような3種類になったり、

エラーを減らすために変な通し番号が

(“http://miharu.○○.jp/?page_id=130″ みたいに「?」マークまで!)

今のところついたりしています(WordPressって、まだその辺りで

エラーを起こすっぽいので、ルールがわかるまではこのままです)、

が! ま、それでも一応、できましたので、よかったらご覧ください。

もともとはこの3軒、超オシャレな外観の建て売り住宅でしたが、

「生きるか死ぬか」という重いテーマに合わせるため

色や画像等、ワザとベタなデザインの家に変えていったり(笑)、

文字の書体は、もっと優しいイメージにしたくなったり、

こだわり出したらキリがないですわ、ホント……(^^;)

1箇所、どうしても文字の色が黒から変えられないところがあるので、

とくにスマホ、携帯の方、読みづらいところがあったらゴメンナサイ。

その黒文字を白くしたいがため、あちこちの文字を結構、

白色に変えてみたりもしたので(それなのに肝心の箇所はダメだった……)、

気づいてないところで「おい、白文字で逆に読めないよ!」

なんて部分があったら、教えてください ……。

これから先は、たとえ「地味なログハウス」レベルであっても、

自力でシェアハウスを建てるべく、勉強です。

もはや、趣味になりそうです。そしてやっぱり目を使う(笑)

読書といい、私の目はずっと頑張ってくれてるなあ、と

我ながら思えるのでした。

てなことで、実は3軒ハシゴ繋ぎ状態の(笑)ホームページですが

気が向いた方は、こちらからご覧ください。

見春屋へのご案内も、間もなくこちらに切り替えます。

   ↓

Miharu

※追伸:

ブログの本文データをコピーするにあたり、ここでいただいたコメントも

すべて写すことは可能だったのですが、プライバシー的にどうかな……と思えたので

この新ホームページでは、どちらのブログコメントもあえて全件、

削除させていただきました。何とぞご了承くださいm(_ _)m