カテゴリー別アーカイブ: 好きなもの(本)

生き物としての私

青森県弘前市で「森のイスキア」を主催されている、

佐藤初女さんの最新の著書

『限りなく透明に凜として生きる

――「日本のマザー・テレサ」が明かす幸せの光』

を最近、少しずつ読んでいる。

この本では、初女さんが生きるうえでの大切なポイントを

いくつか挙げておられて、私はその中でもとくに

いのちのうつしかえ

という言葉に、とても惹かれている。

私たちは食べ物をいただいて生きる存在であり、

その食べ物とは、もともとは、他のものの命である。

私たちはその命を、食べることで移し替えていただいて、

生きさせていただけているのだ、と。

これはね、本当に、そうだと思った。

日本人として「いただきます」の習慣があるおかげで、

すんなり腑に落ちたのかもしれない。

毎日、私たちは、他の生き物から命を移し替えさせていただけているのだ。

私たちは、他のほ乳類同様、生態として

そういう生き方の道を選んだ「生き物」である。

で、ここで少し、話が変わるのだけれど、

えーと、残忍な表現も使うので、不快に感じられる方がいたらどうかお許しください。

あくまでも、私の主観です。

私は、動物を食べることを「残酷だ」と非難する人の気持ちが、

実はあまり、よくわからないのです。

というのも、そう言っておられる方々のほとんどが、菜食はされているから。

まず、生態系としての「人類」の位置を考えるうえで、

人類に近い「種」を食べることは必ず身体に不調をもたらす、という説があって、

そのことは「狂牛病」として知られる牛海綿状脳症(BSE) でも

一部、実証されたように思う。

ゆえに人がね、人間(ごめんね、あえて書いてみるよ)や猿を食べるのは、

同様の理由から、生物学的に「まずい」気はするの。

では、そういう面で見た場合、

同じ「ほ乳類」は、どこまでの種が問題となるのだろうか。

たとえば赤身肉には人体に対する発がん性物質が云々、というのも、

じゃあ魚介類や鳥類や、少なくとも植物に発がん性物質が含まれていないと、

誰が完全に証明できるのだろう。

そもそも「がん」自体の発症メカニズムが完全に解明されていない以上、

今、見つかっている発がん性物質だけが、問題ではないのかもしれない。

統計上の数字だけに踊らされ、不安を感じているのではないだろうか。

それに食べ物のせいで現れる「かもしれない」発がん性よりも

菌やウイルスや毒素のほうが、急性症状として

かなり命に関わると思えるし、それはいつやってくるかわからない。

縄文時代には、鹿やウサギやイノシシ、モグラ等の動物や、

もちろんかのナウマン象も食べていたらしい形跡はあり、

貝塚にはそれらの骨もあるらしい。

で、その縄文時代って、1万6千年は続いたらしい。

もちろん植物も採取していたよ、と。

さらに、総じて縄文人自体は短命(とくに赤ちゃんのときに命を落としやすい)。

ならば弥生時代の稲作でいきなり長寿になったかと言うと、今のところ

そういう明らかな証拠もないそうだ(これまで見つかってきた遺骨にも

個体差があるのでは、という説とかね)。少なくとも「肉も」食べてはいた、

そしてそれが理由で滅んだのではなかった(現人類はまだ、2000年だか

3000年、縄文人のほうが現状では長く繁栄し続けたことは事実)。

うん、まだね、こういう医学面・生物学面で判明しつつある

何らかの問題ゆえという話なら、わかるのよ。

でも「倫理上」の「ほ乳類はダメ」というのって、

ただの「現代的な概念」じゃないのかと。

命をとるのが「残酷だ!」という人は、

なぜ、植物を食べるのは平気なのだろう。

若葉は「ベビーリーフ」という名もあるくらい、

まさに植物の赤ちゃんなのに、それを新鮮だと喜んで食べていないか? 

しかも生のまま、つまり植物が生きている状態でばりばりと。

実をいただくというのは、つまり次世代のために植物が作った

命のもとと、それを守る包みの部分を、勝手にもぎ取って、

次を生まれさせず(まともな種にもさせず)奪っているのではないのか?
 

根を下ろしてまるまると育った大根を、

その、大根たちの生活空間(土の中)から勝手な都合で引っこ抜き、

次の葉っぱ一枚さえ、その根からは生まれさせないやり方で、

まさに根こそぎ奪っていることは、事実ではないの?

何度も生えてくるハーブ、たとえばネギを、飼い殺しのようにしていないか?

その身体や腕をもぎ取っては、足(根)だけ残して、

さあ、もう一度身体を再生しろ、

そうしたらまた食ってやる、と言って切断していないか?

しかもそのネギが、我が身を切られて辛みを増すのは、

ネギの「生物学的な防衛反応」だけれど、

それを喜んで薬味にしているのではないのか?

なぜ、菜食することは残酷だと、

動物を食することと同様に捉えられないのだろうと、

私にはそのことが疑問なのである。

私たちはそもそも、そんな崇高な生き方ができる生態系ではなく、

他の命をいただく存在なのだ。

それを、菜食は許せて肉食はダメ、って、なぜ勝手に決めていいのだろう?

しかもなぜか、ビーガンの方々のなかには、大上段に構えて上から目線で、

健康云々等からも動物を食べることを非難する人の率も高いのだけれど

(全員ではないから比率ね)、それを言うなら、

わざわざ葉をちぎって、ひからびさせて発酵させる、

つまりさらに、微生物の生きる力まで「薬効だ」と言って

湯をかけて殺して飲むのが「お茶」だったりするよ?

煮立たせた湯に葉を落とすのが「生ハーブティー」だよ?

ゆで野菜、焼き野菜はどうなの? 

動物が可哀想と言いながら、では赤い血さえ見えなければ何をしてもいいの?

なぜそっちは残酷じゃないのだろう?

あとね、猟師生活を選んだとある女性ブロガーのことを

罵倒している人たちもいるけれど、

自分が植物の命をあらゆる方法でさんざんに「もてあそんでいる」かもしれない、

そういう可能性に気づいておられないのであれば、その方々よりも、

「ひとつの命」としっかり向き合って、それを尊び、ありがたく「いただいて」、

骨も皮も無駄にしないで使おうとする彼女のほうが、

「生命体」の一人としてよほど崇高な気がするのは、

私だけなんだろうか……。

と、口調が強くなってしまったけれど、

私にはそういう主観があるがゆえに、別に肉食だろうが菜食だろうが、

「いのちのうつしかえ」をさせていただけている、という初女さんの謙虚さに、

すごく納得がいったのですよ。

だからこそ、おいしくいただかないといけない、と言って、

「いちばんおいしくいただける方法」を、ゆで方ひとつから、気をつけていく。

それでもまだ「おごり」の部分は残るのだけれど(いただく、というのは

言葉としての逃げであり、奪うことに変わりはないのだ、

と言われたらその通りなのだ)、

そういうこともふまえたうえで、それでも「いただいて」生きていくのは、

常に、食べ物に対する「ありがたさ」を、感じられる方法だと、

私には思える。

あ、追記しておきます。

こう書くと鬱の方は、植物にさえ迷惑かけられないと思って

不食になりたいかもしれないけれど、

これまで移し替えていただいた命のことも考えて、

上手に生きられない、ということを「生命」の問題とは

きちんと分けて捉えてくださいね。

あなたは生命の一つとして生きていっていい存在だから生まれた、そのことは

鬱になったあとでも、まったく何も、変化していません。

上手に「暮らしていけない」ことについては、回復ができるのです、

あなた自身が。まずは気持ちのうえで休むことから、始めてくださいね。

もうひとつ、この本には「透明になって生きる」ことについても書かれていて、

まだ、最後までは読んでいないのだけれど、

人としての謙虚さ、ありがたさ、を、知ることのできる本だと思えている。

そうした、人としての大切なものへの気づき、

その一端になればと思い、紹介してみます。

本の紹介だというのに、熱めの書き方して、今日はごめんなさいね。

例によって短縮URLの、アフィリエイトなしリンク、張っておきます。

2015_06_28

『限りなく透明に凜として生きる――「日本のマザー・テレサ」が明かす幸せの光』
佐藤 初女 著   ダイヤモンド社 刊
¥1,280
http://ow.ly/OTFYy

外の世界への『勇敢』ではなく、自分の内側の『勇気』を

以前、友達が教えてくれて、使ってみたくなったカードに

『OSHO禅タロット』というのがありまして。

うん? はい、私、子供の頃すでに、タロットカードや星占いや

おまじないやらが大好きでした。前にも話したかな?

ええ、『My birthday』という占い雑誌も愛読しておりまして(笑)、

14歳の頃に、文字を扱う仕事をしたいと思えたのは

星座別の「向いている職業」欄に編集者、とあったから。

文字も文章を書くのも、本も好きだったし、

きれいな写真も好きだったので、

編集者っていいじゃない! と思ったのでした。まー単純(笑)

それを保ち続けた自分のモチベーションには、

今でもちょっと笑える。そのために4年生大学への道を選んだし、

ワクワク思い込んだらスゲー! なパワーあったんだな、私、と(笑)

ま、そんなことはさておき。

このカードから、発売元のOSHOという団体を知り、

仏教的な観念や、たとえ話も交えてのカードはなかなか面白いから、

きっとそういう学びの場所、団体なんだろうなーと思ってました。

でも、その教えを学びに行ってみるところまでは触手が動かず、

公式サイトも有料制だったので、ま、いいかー、と流していたのです。

で、Facebookのつながりから、OSHOの書籍もあるよ、

『Courage 勇気』という新刊もつい最近、出たよと聞いて、

たまたま、数日後にその書籍を扱っている本屋にも巡り会えたので、

ほう、と思って買ってみたのでした。

今の自分や社会に不必要なものは何か、なぜ必要ないのか、

ではそれをどう、自分の中からそぎ落としていくか、

ということを語った本で、

その『そぎ落とすための勇気』についての話が中心。

で、なぜ不必要なのか、の説明が、これまた容赦なくてねー(笑)

いちいち見事に、今の自分の状態や物事の捉え方などにリンクして、

まあ何ともいい意味で、この本、プスプス刺さる刺さる(笑)

人間が、愛を自然に発露していれば、

争いどころか国も宗教信仰も必要なくなるけれど、

自分のことを権力者だと思っている人達が、

それでは自分の存在意義がなくなって、

また、支配できなくなって困るので、

外側から見た『枠』みたいなものを、

これがいい、これが素晴らしい、と、子どもが小さいうちから

よってたかって社会全体で教えまくるのよー、とか(笑)(^◇^;)

自然な発露をわざわざいったん消してから、

宗教や社会的な規範(国家のルールも含む)を利用した

隣人を愛するってこんなこと、という刷り込みを行う。

そんなふうに『自分自身で感じること』を封印させ、

感じる、考える力を持たせないように仕立てていく……と。

ま、確かに究極を言えば、世の中の全員が愛から動いていくなら、

要らないだろうね、国やら宗教やらは。

ある説によると、戦うための道具は、日本で言えば

弥生時代から登場していて、その前の縄文時代、

約15,000年? の間くらいは、人が武器で争ったという痕跡は

いまだに発掘されていないそうな……。

ってことはもしかしたら、人って、

争わなくても生きていけるんじゃね? というような記事も

ちょいと前に(新聞系だったはず)あったのです。

そういう話も思い出しながらこの本を読むと、

なるほどなあ、と思える部分がいろいろ出てくるわけで。

たとえば、勇敢さ、という前向きな気持ちさえ、その前提として

『恐怖心』がないと、自分の中からは思いつかないこと。

そう、世界には恐怖がいっぱい、という前提の意識がまず

自分の中にある、世界をそう捉えているからこそ、

よし、私は勇敢になろう、とか決意するんだよ……と。

で、そういう勇敢さ、みたいなもののほうは、

前提を変えればそもそも持っていなくてもよくて、

今の世界の捉え方のほうを、自分がやめる、

その『勇気』を持っていこう、というふうに語られています。

なるほどね。

わざわざ消してから学んでるのかもね、愛って何なのか。

愛から始まる、思いやりやら温かさやら、優しさやうれしさを、

子どもの頃にいったん消して(消されることに自分が従って)から、

わざわざ今、自分の内側のその感覚を思い出そうと、

私もまた、試行錯誤しているってことかも。

ま、こういう書き方すると、ちょっと哲学っぽくもなるのですが。

そんなふうに私は「うーむ」「うーむ」とあちこちで唸りながら、

この本を読み進めております。刺さるので読むペースは遅い(笑)

読む人によって、また、読む時期によって、

受け止める部分も、浮かんでくる想いも違うだろうけれど、

でもたぶん、何かがよいほうへプスプス突き刺さるだろうと思えるので

まだ読んでいる最中ではありますがこの本、ご紹介しておきます。

勇気もまた、出すのが怖いものに思えるけれど、

実は『この世界を怖い、と、自分が思い続けていくこと』のほうが、

よほどもったいないことかもしれないよ?

ちなみに、『OSHO禅タロット』は、英語版なら

無料で1日1枚、ネット上にて引けます。

カードの意味の公式和訳も、本当はいけないんだろうけど

アメブロで紹介している人がいてくださいます(^0^;)

どんな感じの文章なのかを知る一助にはなるかと思えるので、

無料カードコーナーもリンクしておきますね。

和訳が載っているブログは、すみません、ご自分で探してみてください。

http://www.osho.com/zen_tarot/mod/paradox-zen-tarot

2015_02_05

『Courage 勇気』
OSHO 著/山川紘矢・亜紀子 訳
角川書店 刊 ¥1,728

アドラーさんだったのか……

最近読んだオススメ本が着々と溜まっていく一方なので

とりあえず1冊、いちばん強烈なものからご紹介したいと思います。

私が、仏教・スピ・キリスト教・心理学・社会学・その他で

読んだ本のうち「これ、いい」と思ったもの、

他者から聞いたりしたなかで「うん、なるほど」と思えたもの、

そしてよくオススメさせていただいている、

カウンセラーの心屋仁之助さんや書道家の武田双雲さんが

おっしゃっていること……。

あとは啓発系のビジネス書なども含め、だったのですが、

それらに結構、共通していて、そこから感じて私が何度も書いている

「受け止め方を変えられるのは自分」

という言葉……。

その言葉の、たぶん「大元」さんであられたのが

心理学者、アルフレッド・アドラーさんでありました。

知っている方には、今ごろそれに気づいたのか! という突っ込みを

受けるかもしれませんが(笑)、

私「○○学派」等では区分してなくて、片っ端から乱読なのですよ。

たとえば河合隼雄先生や、下園壮太先生が「何学派」であるかは

別に知らなかった。基本、大きい本屋でざっと目を通して、

読みたいと思えたものを買っていたから。

そして、たまたま学派を知ったとしても、その先生の語り口、のほうが

ずっと大切だったので、学問的に追いかけることはしていなかったのです。

独学で心理学を学ぶのではなく、自分が生きやすい方法を模索してました。

で、今回の本はたまたま最初から「アドラー心理学」と紹介を

されていたので、ふーん、と思っただけでした。

が、しかし!

今まで本やブログ等で受け取ってきたものと共通項いっぱい、

私が言ってきた「かわいそうごっこ」も、言葉を変えて説明されてて。

んまあ! すごいわ、これ、わかりやすい! となったのです。

心屋センセも先日、この本についてブログを書かれていて、

それについては「なう」でご紹介もしましたが、

いや、この本、本当に著者たちががんばって、

内容てんこ盛りでしっかり書いていらっしゃいます。

たとえば、劣等感と「劣等コンプレックス」の違い。

劣等感は、実はよいものなのだけれど、コンプレックスになるとダメ。

「どうせ○○だから」という人は、必ずその裏で

「つまり私は○○がなければ、すごく素晴らしいんですよ!

本当はそのことを認めて!」と叫んでいる。

「優越コンプレックス」の人も、

「本当は劣等コンプレックス、私のなかにいっぱい」と

裏ではわかりやすく示している。

なのでそんなヤツに怒る必要なし。

そして、怒りという感情を自分が優位になりたいがために使い

他者と「勝ち負け」を展開し始めると、

必ず相手に復讐を持ちかけられる「戦い」になる。

その究極の形のひとつが「リストカット」にもなりうる、

つまり復讐で命をも賭けられてしまう……。

(この辺、簡単に要約しているため、そんなのじゃないもの! と

反発される方もいらっしゃるかと思いますが、そういう側面もある、

という示唆が載っている、という話です)。

過去の悪い出来事に縛られることを「選んでいる」のはあなた自身である。

たとえば昔からの病気を使って「ほら私、かわいそうでしょ」と

特別扱いを望む、そっちの捉え方を選んでいるのもあなたである

(だからいつまでたっても「あなた自身が自分で不幸を選び続ける」、

私が言う「かわいそうごっこ」もこれです)。

過去を「問題」として、または「原因」として、

それをあれこれ、うまくいかない理由や言い訳にしているのは

あなた本人の選択なのですよ、という話。

……むかつくよね、普通、こういう書き方されたら。

あるいは落ち込むかな。

でもね、それ、変えられます。

本の中では、思いっきり反発する青年と、

アドラー心理学にも通じている哲学者との対話形式が使われているので、

「その視点の変え方」もわかりやすく載っています。

ただ、それをする「勇気」だけは、あなたが選んでください、と。

あなたが自分で選ばない限り、あなたの「世界観」は変わりません、と。

他者への怒り、自分をうまく扱えない怒り、

自信のなさ(それはただの思いこみ、ではなぜそう思い込むのか)、

コントロールそのものから離れること、

怒りを「ずるく」使わない方法……etc.

論破されていく青年の姿に、自分がどこかの部分で、

必ず重なっていくと思います。

「うまくいかない」と思っているなら、

「表面上だけの優越感や満足感」に、うっすら、気づいているなら。

少しずつでいいので、最後まで一読する価値はあると思えますよ。

ちなみに私は今、じっくりしみじみ、読み直し中です。

そして再び、うなるばかり。

2014_05_07_hitoyasumi

◎嫌われる勇気 自己啓発の源流「​アドラー」の教え

岸見 一郎、古賀 史健 著
ダイヤモンド社 刊
¥1,620

「生きる」のパラダイム・シフト、始まってる? ~前編~

いやあ、久々に、自分がこれまで断片的に感じてきたことが

スパンスパンとつながって、「ああ、やっぱり、よかったぁ~」と

しみじみする結果が生まれました。

過去、スピを中心とする宗教的な思想を追っかけてたときにも一度、

世界観みたいなものがそういうつながり方をして

「お、これは面白い!」と思えたのですが。

 
今回、そのヒントをこんもり与えてくれたのが、

『弱さの思想 たそがれを抱きしめる』という書籍でした。

著者はお2人。

小説家で文学者で文芸評論家でもある高橋源一郎さんと、

評論家で文化人類学者で環境運動家の、辻信一さん

(肩書きはともにウィキペディアからいただきました)。

高橋さんは、まず20代初めのころに『ペンギン村に陽は落ちて』を

拝読し「なんだこの不思議な人は」と思い、そこから

他の作品も読んで「不思議な感性の作家さん(社会派の面もあるのに)」

と思えた方。その後、小説のほうは寡作になられて

作品にお目にかかる機会が減っていたのだけれど、

震災後に始めたTwitterで再び「@takagengen」、高橋源一郎さんを見つけて。

おおっ、とありがたく読んでいたら、

2011年5月17日に、震災と原発問題にまつわる連続ツイートがありました。

「みんな だいじょうぶかい?」

という一文から始まるその呼びかけは、

「さあ、頑張ろう。どこかに「出口」はあるんだから」

というふうに、やわらかく続いていきます。

私たちが陥った状況についての説明のわかりやすさと、

その言葉の温かさに、

うん、なんの力もない一般市民の

(しかもいったんは激弱になった)私でも、

できることあるかな……あるかもな……

と、スッと、落ち着いて、素直に思うことができて。

改めて、小説家の扱う言葉の力と、

高橋さんご自身の懐の温かさを「すごい」と感じたのでした。

この連続ツイートは残念ながらまとめられていないので、

気になる方は上記リンクから2011年5月17日までたどってください。

一方の辻さんは、私、仕事の関係で一時期、ご著書や対談会などを

一気に熟読・拝聴する機会があって。

そのときは主に環境分野だったのですが、それこそたくさん、

環境系の知識や情報、考え方を学ばせていただけて

気持ち的には「その節、勝手ながらたいへん助けていただいた方」という感じ。

ちょうど「キャンドル・ナイト」の呼びかけなどもなされ

エコロジーが盛り上がり始めた時期でもありました。

それでもって辻さんに対してもやはり、「不思議なご経歴と活動を

なさっている、自由な感じの方」という印象があり……。

どちらもいい意味での、ワクワクで温かい、

ステキな「不思議」感なわけですが(現在、お二人ともに

明治学院大学の教授でもあられて……、いいなあ、明学)、

そのステキな「不思議さん×不思議さん」が、

人間の「弱さ」について対談してる書籍、と言われたらですよ、

そりゃもう、あなた! 

一般的な「社会的弱者・擁護論」であるはずがない。

てなことで、いそいそと、その本も現地で買えるという

「発刊記念対談」、トークイベントの会場へと、足を運んだのでした。

……どうしてもいろいろ語りたくて(笑)長くなったので、

本の魅力と社会のステキな展望については次へつづく。

美味しいものも味わえます

小説を読んでいて、ときに食事の描写で「おいしそう!」と思うことがある。

お腹が空いているときはもちろんだが(笑)、そうでなくても

味が想像できるもの、和食、とくに時代物では、私はそうなりやすい。

確か最初は、池波正太郎氏の「剣客商売」か

平岩弓枝さんの「御宿かわせみ」のどちらかだったと思うのだけど……。

そこに出てる料理を実際に作ってみたのですよ、手順のわからないところは予想で補って。

するとね、やっぱ、おいしかったの。

和食なんて「さしすせそ」の調味料で基本、なんとかなるから、

材料と味付けの方向性がわかれば、適当にできるもので。

そんなこんなで、時代小説を読む際に、

自分がふだん使わない食材や味付けの料理が出てくると、

ついつい「作れそうかどうか」という視点が加わることとなりました(笑)

もともと池波センセの小説では、食べ歩きや創作に

チャレンジしてしまうオジ様たちがいることも知っていたので

うん、気持ち、わかるなあ、と思うようになった。

そうしたら! さすが、よくわかってる角川春樹事務所

(角川書店じゃないよ、春樹さんが出所前後に自分で作った出版社)。

たぶん女性層も狙って、料理人小説(捕り物やら人情もの)を

文庫書き下ろしで出し始め……私はまんまと、それにハマったのであった。

まず和田はつ子「料理人季蔵捕物控」(ただしこれは、

ストーリー展開のほうがだんだんおかしくなっていったため、

残念だったが途中で読むのをやめた)。

このシリーズいちばんのヒットが「だいこん素麺」。

刺身に付いてる「けん」くらいにだいこんを切った、でも長めにしたものを、

さっとゆがいて、梅干し+鰹節を酒でじっくり煮出したつゆ

(煎り酒、というらしい)をつけて食します。さっぱりまったり、ウマウマです。

あと、これはハルキ文庫じゃなかったけど、

宮部みゆきさんの小説(「ぼんくら」シリーズのどれか)で

「海苔の佃煮」のおいしさを語る人の下りがあって、

ふと、作れるのか? と思って調べたら!

ヘタにめんつゆとかも使わない、

激ウマなレシピが「クックパッド」に載っていたのであった。

おかげで私はもう二度と、桃屋、買えません(笑)

できるだけ細かくちぎった海苔を、

出汁と調味料でひたすら混ぜつつ煮詰めるだけなので、

海苔好きな人はチャレンジしてみてください。

とくに新海苔はウマイよ~(*^_^*)

クックパッド けゆあ さんのレシピ

http://cookpad.com/recipe/701441

そしてなんといっても、この小説。

大坂から江戸に出てきた少女が、

どんどん美味しいものを作り出してしまうだけでなく

家族愛やら友情やら恋愛やら、料理人としての生き方やらで、

降りかかりまくる「艱難辛苦(かんなんしんく)」を

次々と撃破していってしまう(笑)(でも主人公は途中でちゃんと悩み、迷う)

「時代物の昼ドラか!?」 と言わんばかりのその展開。

高田 郁(たかだ・いく)さんの「みをつくし料理帖」シリーズ。

この高田さん、出身がマンガ原作者だからでしょう、

ストーリー構成がとにかく精密。しかも視点が必ず温かい。

「みをつくし」シリーズは、8月に最終巻の第10巻が出る予定なのだけれど、

第1巻が出たときからたまたま読み始め、最初、3巻までは

「ん? 話が地味だよ?」と思って……。

次を読もうかどうしようか、迷ったほどだった。

でもね、実は3巻までの話は、ほぼ全部、「伏線」としての作り込み。

4巻以降からどんどん話が動き始め、その後は

「ど、どうするの、澪(みお)ちゃん!?」と思わず

人の良い主人公、澪を心配してしまうようにさえなったのでした。

それくらい途中から「次巻を待て!」的に、話を組んであるのだ……。

マンガ原作者、恐るべし(笑) 桐生夏生さんにも言えるけど、

マンガ原作って、実はすごい経験なんだな、と思える。

でね、しかも、出てくる料理がね。

これまた著者の高田さんがきちんと「実際に調理してみて、

おいしい」という味に仕上げてあり……巻末にちゃんと、

主要な料理の文字レシピが載っており……一時期休載された際、

次巻を待つ間に再現料理本も文庫で出て……。

これまでに私が作ってみた、澪の料理

(ちなみに、レシピ通りに作ると、とくに塩気は濃いめなのでご注意)。

●酒粕汁(さけかすじる)

(鮭、だいこん、にんじん、油揚げ、こんにゃく、白ネギ、

酒かす、味噌、酒、みりん、しょうゆ)、たまにカブやごぼうも投入

●鼈甲珠(べっこうだま)

(生卵の黄身の、味噌+みりんかす漬け。

卵黄を、みりん絞りかす+白味噌+赤味噌+みりん+酒に埋めて漬ける)

●だいこん油焼き

(半日干した半月切りだいこん、

ごま油でじわっと焼いて酒、しょうゆ。食べる際に山椒)

●ウドとワカメの酢の物、ウドとワカメの酢味噌和え、ついでに自分で

レシピ調べてウドご飯(昆布出汁+短冊切りウド+塩+酒でご飯炊く)

●菜の花飯

(昆布出汁と酒、塩でしっかり味付けしてご飯を炊き、蒸らす際に

塩ゆで→同じ味付け出汁に漬けておいた菜の花を混ぜる)

●忍び瓜……ゆでキュウリの三杯酢漬け

(麺棒で叩き、軽くつぶしたキュウリをなんと、さっと湯がき!

三杯酢+ごま油+唐辛子の合わせ汁に漬けて半日)

●里の白雪……すり下ろしカブの蒸し物

(カブに卵白と塩を混ぜて、湯通しした鯛にこんもりとかけて隠し、蒸す。

出汁+酒+塩+みりん+しょうゆ、にとろみをつけた「銀あん」かけてわさび)

……おかげで自分の食卓が、いかに楽しくおいしくなったことか!

たぶん今度の休みには、「レンコンの射込み」

(海老詰めて揚げる)が気になっていたので、

チャレンジしてみるだろうと思います。

あとついでに、山芋とカブと海老で作る「立春大吉もち」とか、

ごぼうの素揚げも……。はうう。楽しみ。

絞りかす系、好きなのです、っていうか、

そもそも糀(こうじ)、発酵ものLOVE。

昔は甘酒も味噌も仕込みました(笑)

酒かすだけでなく、京都や奈良でしか見かけたことのなかった

「みりんかす」が、まさか料理に使えるとは! と。

貯まっていた楽天ポイントでお取り寄せしましたさ、有機もの(笑)

鼈甲珠も酒粕汁も、はい、絶品でございました。

……てなことで。読んでるだけでも和食好きにはたまらない、

文庫書き下ろし「みをつくし料理帖」シリーズ、

現9巻+料理本1冊、でございます。

アフィリなしリンク、ご確認をぜひどうぞっm(_ _)m

2014_03_07_hassaku

八朔の雪―みをつくし料理帖(第1巻)
高田 郁 (ハルキ文庫) ¥580

2014_03_07_kondate

みをつくし献立帖
(各巻巻末に載っている
主要料理のレシピは
再掲載していないが、
ストーリーに出てくる
ほかのレシピを掲載)
高田 郁 (ハルキ文庫) ¥720