久しぶりの脳内リピートナンバー(笑)

私の好きな音楽たち。

小学校時代の佐野元春、ユーミン、YMOに始まり、

中学校時代のマンハッタン・トランスファー、中島みゆき、

高校が渡辺美里、尾崎豊、AOL、UK方面多数。

 

なんかさ、ふとしたきっかけである期間、

中毒的に聴きまくってしまう、歌い人のシリーズってあるよね(私だけか!?)。

 

大人になってからは、邦楽ならドリカム、Chara、椎名林檎、

あ、吉田美奈子さま(笑)は別格として(*^_^*)、沖縄民謡もあり

あとはソウル、ジャズとかボサノバ、レゲエ、クラシックも多少、

かなりワールドワイド&アトランダムになっていたここ数年。

 

それが先月、この年齢になって初めて「ボカロ」を聴いてみる気を起こし。

主にニコ動(ニコニコ動画)を中心にチョロチョロ聴いていたのだが、

いやあ、ここから人気が出て、プロになった人いるんだね。

しかも耳慣れてきたらよい曲もあって、中毒性、高いわ、これ。

 

ということで今週、久しぶりに脳内リピート来ました(笑)

いつまで続くかわからないので、記録用に6曲、挙げておこうと思う。

 

作詞・作曲は同じ人。ボカロでは「ハチ」、

メジャーデビューしてからは本名の「米津玄師」(よねず・けんし)で

活躍されている様子。本名、カッコイイ名前だなあ。

 

しっかし、まさかボカロの曲まで

脳内リピートする日が来るとは思いませんでしたわ。

カラオケにも入ってるようだけれど、知ってるかな、

初音ミクとか巡音ルカとかGUMIとか(笑)

私、ミク以外は知らなかったよ(^_^;)

 

あと、歌詞にも惹かれるのだよねえ、私って(笑)

多少意味不明でも、羅列の美しさとか、勢いとか。

そこもハチさんの作品は好みで、気になって聞き始めましたのです。

 

ニコ動はログインが必要なため、Youtube版でアップ。

ずらっと6曲(うち1曲はアレンジ版も)、歌詞リンク付きです。

ついでにハチさん、米津さんの、動画まとめリンクも。はは、すみません(笑)

 

ちなみにボカロは最初、ダンス動画から、はまらせていただきました。

そっちまでリンク張るとキリがないから紹介しないけれど、この夏、

メインブログにペタをくれた、ニコ動・ダンスファンのデザイナーさんに感謝!

 

素人がどんどんやりたいことを投稿していくニコニコ動画、

ざ・おたっきー☆な世界で(笑)、でもある意味、バンザイだヽ(^O^)ノ♪

 

ということでまず、GUMIやミクの「ボカロ」を使った(あ、ボーカロイドね)の

オリジナル曲で投稿を開始された、「ハチ」さん名義の時代から。

イラスト・動画も本人作成、いい才能だ♪

 

◎ハチ 「パンダヒーロー」

https://youtu.be/0RU_05zpETo

「パンダヒーロー」歌詞 [初音ミクWiki (笑)より、以下同]
http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/14114.html

 

◎ハチ 「ドーナツホール」

https://youtu.be/qnX2CdOBcDI

「ドーナツホール」歌詞
http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/27176.html

 

◎ハチ 「マトリョシカ」

https://youtu.be/HOz-9FzIDf0

「マトリョシカ」歌詞
http://www5.atwiki.jp/hmiku/pages/11574.html

 

この「マトリョシカ」は、他の人が歌ったラップ付きバージョンもヨロシ。

本家をちゃんと示せば、こういうアレンジ作品の発表も自由なのが

「ニコ動」の基本ルールらしいね。

二次創作も「喜んで♪」の世界、うん、さすが(笑)

◎【ゼブラ】マトリョシカ【はしやん】

https://www.youtube.com/watch?v=tbE2xgT1QxI

 

いろいろ聴いて、この「ハチさん」のボカロ、いいな……と思っていたら、

ハチさん、ガラッと曲調を替え、ご自身の歌唱で

やっぱり、メジャーデビューされていたのであった。

米津さんご本人も歌、お上手です。

 

しかも! メジャーデビューしたのに相変わらず、ニコ動では全曲、フリーで聴ける。

で、アルバムは売れているようだし、ライヴも人気。

いいねえ、こういうの。本人イラストデザインのグッズもいっぱい。

やりたいこと、出し惜しみしてません、素晴らしい。

CMソングにもなったらしい、こちらの曲から。

◎米津玄師 「Flowerwall」

https://youtu.be/Y4_vXzyOJHE

「Flowerwall」 歌詞 [「歌詞検索J-Lyric.net」より、以下同]
http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l0345d4.html

 

◎米津玄師 「アイネクライネ」

https://youtu.be/-EKxzId_Sj4

「アイネクライネ」 歌詞
http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l031237.html

 

◎現時点での最新シングル曲。米津玄師 「アンビリーバーズ」

https://youtu.be/naJcqMBbAn4

「アンビリーバーズ」 歌詞
http://j-lyric.net/artist/a0579b7/l0376c4.html

 

最後に。

☆ハチ&米津玄師 Youtube動画リスト(ご本人によるセレクト)
https://www.youtube.com/user/08yakari/videos

☆ハチ ニコ動マイリスト(全曲)
http://www.nicovideo.jp/mylist/12682175

☆米津玄師 ニコ動マイリスト(たぶん全曲)
http://www.nicovideo.jp/mylist/30955043

 

ふー、リンク疲れた(笑)

秋の週末のひとときに、お好みのものが見つかれば幸いですm(_ _)m☆

 

 

 

恐怖心と平行線

恐怖心から物事を語ると

全部が脅威だよね

 
全部 あいつらが悪い

実際に あんなことしたし こんなことしたし

 
でもね その脅威論 前提が違うから

 
前にも書いたけれどさ

じゃあ全世界に 未だに

自治区だの ○○領だの が存在するのは 何なのだろうね

あれ 帝国主義の残影だよ フォークランド 憶えてないかな?

チベット侵攻は だから国連では非難決議も それこそ国連軍も出なかったの

その意味 わかるかな?

 
しかもチベットはもともと 自治区内の権力者がね

武力の後ろ盾が欲しいって要請したのよ 隣の大国に 軍隊をね

それに乗じて 軍隊が丸ごと 乗り込んだのよ 「自治区」に

そこは 浅はかでは なかったとでも?

 
ウィグルも アラブとの確執に 端を発している「自治区」でさ

その確執には ソ連も絡んでいるけれど もっと古くからの領土争いと

宗教的 民族的 対立が 何千年も絡んでる話

 
なのに怖さのあまり

漁船でやってきてるのを 偵察機が飛んでくるのを

同じ侵攻 その準備だと 言いたいんだよね

 
うん そのレベルで言えばかの国はもともと

全世界の中心になりたい人たちが 4000年間 住んでいるけど?

経済大国になったのが悔しいとか そういう妬みもからんでる?

それこそ 平和ボケしてるの どっちだろうね?

 
あの国の周辺の歴史 ちゃんと知ってみる気もないのにね

 
日本だけが 持ってない?

当たり前だよ 日本だけが原爆投下されて 命の尊さ 知ってるんだよ

あの経験を経て それでも武力だけでしか解決できないと思うの?

政治外交って 何のためにあるの?

 
……まあね あの選挙の結果から こうなるの 目に見えてたから

がっかりはしたけれど 通過点なのかな と思う

昔っから 政治外交なんて 欧米以外とは

面倒だからしませーん って人たちだもの

 
全世界で 日本だけが 独自の道を歩んで

それが間違いだったというのなら

そもそも個別自衛権 何のために考案したんだろうね

あの努力は全部 バカな無駄な作業だったのかな

 
とても悲しい歴史としての 結果

他国を攻める権利があると勘違いする 被爆した敗戦国……

そういう残影を 日本人だけが 信じたくない?

なぜ世界経済で筆頭レベルになったときにも

常任理事国になれなかったか まだ理解したくない?

 
本当に変えるなら ○○領 等まで含んだ

この「影」の部分にも 着手する必要があって

それはもうね 武力ではまったく 解決できる話ではなくて

だからこそ 日本だからこそ 外交レベルで

「世界に必要とされる国」という

世界に類のない看板 新しい立場が 本気で必要で……

 
今回の この流れは 苦しいやり方ではあるけれど

そこに気づくための 通過点であると 私は捉えることにする

これ以上 次世代に 負の遺産を残したくない

その気持ちは 同じだと信じたい

 
ま せめて緊急スクランブル発進 減ってくれたらいいね

そうしたら 少しはその恐怖心 やわらぐかな?

 
やわらぐと いいね

 

 

生き物としての私

青森県弘前市で「森のイスキア」を主催されている、

佐藤初女さんの最新の著書

『限りなく透明に凜として生きる

――「日本のマザー・テレサ」が明かす幸せの光』

を最近、少しずつ読んでいる。

この本では、初女さんが生きるうえでの大切なポイントを

いくつか挙げておられて、私はその中でもとくに

いのちのうつしかえ

という言葉に、とても惹かれている。

私たちは食べ物をいただいて生きる存在であり、

その食べ物とは、もともとは、他のものの命である。

私たちはその命を、食べることで移し替えていただいて、

生きさせていただけているのだ、と。

これはね、本当に、そうだと思った。

日本人として「いただきます」の習慣があるおかげで、

すんなり腑に落ちたのかもしれない。

毎日、私たちは、他の生き物から命を移し替えさせていただけているのだ。

私たちは、他のほ乳類同様、生態として

そういう生き方の道を選んだ「生き物」である。

で、ここで少し、話が変わるのだけれど、

えーと、残忍な表現も使うので、不快に感じられる方がいたらどうかお許しください。

あくまでも、私の主観です。

私は、動物を食べることを「残酷だ」と非難する人の気持ちが、

実はあまり、よくわからないのです。

というのも、そう言っておられる方々のほとんどが、菜食はされているから。

まず、生態系としての「人類」の位置を考えるうえで、

人類に近い「種」を食べることは必ず身体に不調をもたらす、という説があって、

そのことは「狂牛病」として知られる牛海綿状脳症(BSE) でも

一部、実証されたように思う。

ゆえに人がね、人間(ごめんね、あえて書いてみるよ)や猿を食べるのは、

同様の理由から、生物学的に「まずい」気はするの。

では、そういう面で見た場合、

同じ「ほ乳類」は、どこまでの種が問題となるのだろうか。

たとえば赤身肉には人体に対する発がん性物質が云々、というのも、

じゃあ魚介類や鳥類や、少なくとも植物に発がん性物質が含まれていないと、

誰が完全に証明できるのだろう。

そもそも「がん」自体の発症メカニズムが完全に解明されていない以上、

今、見つかっている発がん性物質だけが、問題ではないのかもしれない。

統計上の数字だけに踊らされ、不安を感じているのではないだろうか。

それに食べ物のせいで現れる「かもしれない」発がん性よりも

菌やウイルスや毒素のほうが、急性症状として

かなり命に関わると思えるし、それはいつやってくるかわからない。

縄文時代には、鹿やウサギやイノシシ、モグラ等の動物や、

もちろんかのナウマン象も食べていたらしい形跡はあり、

貝塚にはそれらの骨もあるらしい。

で、その縄文時代って、1万6千年は続いたらしい。

もちろん植物も採取していたよ、と。

さらに、総じて縄文人自体は短命(とくに赤ちゃんのときに命を落としやすい)。

ならば弥生時代の稲作でいきなり長寿になったかと言うと、今のところ

そういう明らかな証拠もないそうだ(これまで見つかってきた遺骨にも

個体差があるのでは、という説とかね)。少なくとも「肉も」食べてはいた、

そしてそれが理由で滅んだのではなかった(現人類はまだ、2000年だか

3000年、縄文人のほうが現状では長く繁栄し続けたことは事実)。

うん、まだね、こういう医学面・生物学面で判明しつつある

何らかの問題ゆえという話なら、わかるのよ。

でも「倫理上」の「ほ乳類はダメ」というのって、

ただの「現代的な概念」じゃないのかと。

命をとるのが「残酷だ!」という人は、

なぜ、植物を食べるのは平気なのだろう。

若葉は「ベビーリーフ」という名もあるくらい、

まさに植物の赤ちゃんなのに、それを新鮮だと喜んで食べていないか? 

しかも生のまま、つまり植物が生きている状態でばりばりと。

実をいただくというのは、つまり次世代のために植物が作った

命のもとと、それを守る包みの部分を、勝手にもぎ取って、

次を生まれさせず(まともな種にもさせず)奪っているのではないのか?
 

根を下ろしてまるまると育った大根を、

その、大根たちの生活空間(土の中)から勝手な都合で引っこ抜き、

次の葉っぱ一枚さえ、その根からは生まれさせないやり方で、

まさに根こそぎ奪っていることは、事実ではないの?

何度も生えてくるハーブ、たとえばネギを、飼い殺しのようにしていないか?

その身体や腕をもぎ取っては、足(根)だけ残して、

さあ、もう一度身体を再生しろ、

そうしたらまた食ってやる、と言って切断していないか?

しかもそのネギが、我が身を切られて辛みを増すのは、

ネギの「生物学的な防衛反応」だけれど、

それを喜んで薬味にしているのではないのか?

なぜ、菜食することは残酷だと、

動物を食することと同様に捉えられないのだろうと、

私にはそのことが疑問なのである。

私たちはそもそも、そんな崇高な生き方ができる生態系ではなく、

他の命をいただく存在なのだ。

それを、菜食は許せて肉食はダメ、って、なぜ勝手に決めていいのだろう?

しかもなぜか、ビーガンの方々のなかには、大上段に構えて上から目線で、

健康云々等からも動物を食べることを非難する人の率も高いのだけれど

(全員ではないから比率ね)、それを言うなら、

わざわざ葉をちぎって、ひからびさせて発酵させる、

つまりさらに、微生物の生きる力まで「薬効だ」と言って

湯をかけて殺して飲むのが「お茶」だったりするよ?

煮立たせた湯に葉を落とすのが「生ハーブティー」だよ?

ゆで野菜、焼き野菜はどうなの? 

動物が可哀想と言いながら、では赤い血さえ見えなければ何をしてもいいの?

なぜそっちは残酷じゃないのだろう?

あとね、猟師生活を選んだとある女性ブロガーのことを

罵倒している人たちもいるけれど、

自分が植物の命をあらゆる方法でさんざんに「もてあそんでいる」かもしれない、

そういう可能性に気づいておられないのであれば、その方々よりも、

「ひとつの命」としっかり向き合って、それを尊び、ありがたく「いただいて」、

骨も皮も無駄にしないで使おうとする彼女のほうが、

「生命体」の一人としてよほど崇高な気がするのは、

私だけなんだろうか……。

と、口調が強くなってしまったけれど、

私にはそういう主観があるがゆえに、別に肉食だろうが菜食だろうが、

「いのちのうつしかえ」をさせていただけている、という初女さんの謙虚さに、

すごく納得がいったのですよ。

だからこそ、おいしくいただかないといけない、と言って、

「いちばんおいしくいただける方法」を、ゆで方ひとつから、気をつけていく。

それでもまだ「おごり」の部分は残るのだけれど(いただく、というのは

言葉としての逃げであり、奪うことに変わりはないのだ、

と言われたらその通りなのだ)、

そういうこともふまえたうえで、それでも「いただいて」生きていくのは、

常に、食べ物に対する「ありがたさ」を、感じられる方法だと、

私には思える。

あ、追記しておきます。

こう書くと鬱の方は、植物にさえ迷惑かけられないと思って

不食になりたいかもしれないけれど、

これまで移し替えていただいた命のことも考えて、

上手に生きられない、ということを「生命」の問題とは

きちんと分けて捉えてくださいね。

あなたは生命の一つとして生きていっていい存在だから生まれた、そのことは

鬱になったあとでも、まったく何も、変化していません。

上手に「暮らしていけない」ことについては、回復ができるのです、

あなた自身が。まずは気持ちのうえで休むことから、始めてくださいね。

もうひとつ、この本には「透明になって生きる」ことについても書かれていて、

まだ、最後までは読んでいないのだけれど、

人としての謙虚さ、ありがたさ、を、知ることのできる本だと思えている。

そうした、人としての大切なものへの気づき、

その一端になればと思い、紹介してみます。

本の紹介だというのに、熱めの書き方して、今日はごめんなさいね。

例によって短縮URLの、アフィリエイトなしリンク、張っておきます。

2015_06_28

『限りなく透明に凜として生きる――「日本のマザー・テレサ」が明かす幸せの光』
佐藤 初女 著   ダイヤモンド社 刊
¥1,280
http://ow.ly/OTFYy

藤の花

2015_05_24_2
心して 臨まれよ

あなたの上には 無数の燦めきが 降り注いでいる

それを受け取る資格が 自分にあることを

そろそろ 真摯に 気づかれよ

受け止めたあとの 纏い方までは指定せぬ

ただ それが自分のための輝きとなるように

真摯に 用いよ

自分の輝きを 増すことが

どれほど他者の 地球の 役に立つのかを

あなたは 味わわなくてはならない

あなたは その意志を持って

この地に降り立ったのだ

だからそろそろ 本気を出して

自身の 本当の 役目を果たせ

今ここにある この花の燦めきは

あなたのために 用意されたものである

覚悟を持って 受け止めよ

Photo by 花の無料壁紙写真・花の無料写真素材・四季の花の写真集

 

 

『民族』と

使う言葉を選ぶ意味

通じておくれ

かの人たちに

あなた方が選ぼうとしている理屈は

丸々 そっくりそのまま相手側に転用され

完全に立派な理由として 相手側にも

正当化されてしまうのだということを

だって怖いからやるんだよね?

腹が立つからあらかじめ準備して脅すんだよね?

相手とまったく同じ土俵に 落ち込んだのだということを

それしか解決策がないという 視野の狭さを

それしか解決策がないという 自分のおびえを

正当化してるんだよね

どこか何かで日本人が バンバンどんどん亡くなるようになってから

やっと これ以外のやり方でもよかったのだと気付くのかな?

そしてその頃には 必ず言われるよ 相手から

終わらせるために原爆が必要だったいう

あの言い分とまったく同じ理屈のことをね

それが素晴らしいと思えてしまう

視野の狭さよ

代替案? だから救命国になれるってば

世界貢献のために

犠牲を払うのではなく 真摯さと 命に対する敬意を持って

人の 命を 救いに行けるよ 私たちは

私たちは 命を守るための

別の方法も 選べるよ