地球から戦争がなくなればいいね、なんて
短絡的なことをいきなり言うつもりはないけれど。
戦争してまで欲しいのはたいてい、土地か資源。
今はもう、奴隷制度は国際的に(表面上)、あり得ないから、
一番は、資源(の支配権)だろうと思う。
宗教的な憎しみ合いは、宗教に名を借りて、本当は民族的な感覚で
お互いが「相手を滅ぼしたい」という根源的な部分を持っている可能性はある。
少なくとも今のガザへの攻撃には、それが混ざっているかも、と思える。
でも「多民族」がいる地球で、ある民族が、
他の民族を丸ごと「滅ぼしたい」と思うこと自体、
もはや現代社会では非現実的、な話である。
先の話でも書いたように、スペインはインカ帝国を民族ごと滅ぼして、
その土地と資源(金目のもの、だね)を奪った。
それで他の国も「ウマイこと、やってやがるな」とばかりに、
「新世界」を奪いまくったわけだけれど。
もっともっと、の強欲で、人のものを暴力で奪うのは、本来、
智恵の足りない人がやりそうな犯罪、だし、
それを目的に相手を殺すのも、力で脅して相手を支配するのも、犯罪。
飢えた子どもが切羽詰まって目の前の食べものを盗むより、
ずっとずっと、欲深い、罪の重いもの。
16世紀ならいざ知らず、私たちは感覚的に、
それを「すでに」犯罪だと知っている。
でもなぜか、国単位だと、いまだにやっているのだ。
ずっと「智恵の足りない強欲の状態」のままが、
人として当たり前なのだろうか。
たとえばまっとうに成功して、金を稼げたとする。
それで? プールとテニスコート付きの家を買い、
高級車も買って、毎週末にパーティーでもしてみる?
そこには、金の匂いにだけ釣られてやってくる人もいっぱい混ざるだろうし、
一見、友人関係が広がったように思えても、いつまで楽しいかな。
きちんとした友情、そこで山のように作るってことかな。
100人の人と真の友情を紡いでみたいとか?
それにそういうのを一度持ったら、結局は次に、
それを維持していかなくちゃいけない。
没落、なんて後ろ指は指されたくなくなるだろう、見栄で。
趣味で車大好きならともかく、車、飾り物にならないかな。
車でしょっちゅう外出するなら、家にいないってことだから、
プールやテニスコート、使うのかな。
それにプールの水の手入れ、たいへんだよね、
塩素ドボドボ入れたら、自分の身体に悪いし。
テニスコートのコート面だって、メンテナンスが必要で。
当然、周囲には庭が欲しいだろうから、その手入れも必要。
全部、自分でできないだろうから、好きなときに使いたいなら、
人を雇ったり職人や掃除人を呼んで、完璧に維持管理しないと。
こうやってお金は出ていく一方になるから、もっと稼がないと。
それらが全部、利子でできるくらいにならない限り、
維持するためには必死で働かなくちゃいけなくなる。
それこそテニスやスイミングする時間、なくならないかな。
セキュリティだって、たいへんだよー。金の匂いで狙う人、たくさんいる。
泥棒や強盗だけでなく、ライバル意識や嫉妬心を持ってる人まで、
一生、相手にしていかなくちゃいけない。
なかには、暴力的手段に訴える人もいるだろう。
家族の誘拐、とかさ。
うん、欲を持つなとは言わないよ。
でもいったい、どこまで、欲しいのさ。
どこまで、そんな物質で幸せを得たいのさ。
それで完璧に満たされるのかな、本当に。
もっと切実な例もある? アフリカ諸国の水の問題、とか?
水の権利は命に関わるからと言って、
国内でまったく何の工夫もせず他国へ水を奪いに行き続けるのも、
キリがなくないかな?
その国の住民、皆殺しでもしない限り、必ず恨みつきで、やり返されるよね。
逃げる人もいるし、どう考えても皆殺しは無理だよね。
で、その水の問題が解決、と言えるのかな。
それしか方法、ないのかな。
乾燥に強い種を蒔くところから土地を育て、
いずれは植林していくのは、国としてダメかな。
そのほうが長期的に見て、恨み→恨み返しを繰り返すより
人口等も安定していくんじゃないかな。今は、技術も進んでるよ?
やったら、いつか、やり返される。
それがイヤだから、隣の大国が今、自治区にあんなことしてるわけで。
しかも前世紀に同じことをやった欧米は、
だから今、隣の国を非難できなくて。
その強盗的な欲深さ、憎しみ合いの永遠の連鎖。
いったいいつまで、続けるのだろう。
そのために犠牲になる子どもも、たくさんいるのに。
物ごころついた頃からいきなり、あいつらは憎々しい敵だと
大人から刷り込まれながら育つ子どもが。
避難して栄養失調になり、攻撃で手足をもがれ、
それでもこの先、大きくなって生きていく子どもが、たくさんいるのに。
なぜこんなことを書くかというと、
先日「国境なき医師団」に臨時の寄付をしたら、
活動案内の小冊子が届いたから。(※1)
そこの活動報告、ありがたかったけど、悲しかった。
そして、冊子に付いていた「命のうでわ」の付録。
生後6ヵ月~5歳までの子どもの二の腕に巻いて測ることで、
即座に栄養失調の度合いを判断できるのだという。
写真に撮ったのは「中程度」(中の中、クラス)の腕サイズ。
これで二の腕の周囲は12cm(比較のために500円玉を置いてます)。
この細さでも「即、入院治療」まではしなくていいらしいけど、
こんな(あるいはこれ以下の)二の腕を持った子どもたちが
争いなどに巻き込まれていて、難民キャンプ等、今、世界中には
本当にたくさんいるのであろうという事実に、胸が痛む。
しかもその子どもたちはすでに、あるいはこの先、
恨みや憎しみを、大人から刷り込まれている、
刷り込まれるのかもしれない。
こんな連鎖をさ、不幸と言わず、なんと呼ぶのだろうね。
国家や宗教の正当性? ふざけんな。これが正しいことってなぜ言えるの?
もう本当に、こういうの、いいじゃない。
命も含め人のもの奪わずに、お互い努力して取引しながら、幸せになろうよ。
殺人できる力を示して偉そうにするの、恨み買うからやめようよ。
維持が一生、たいへんな見栄、本当に自分に必要なら、
自力のみでやりなよ、人のもの、奪わずに。
そんなに光量もまぶしくしないといけないの? でないと儲からない?
原子力発電が今、できなくて電気の発電量が減るなら、
その他の電力供給方法(石油・石炭・天然ガス以外ね)が
実用化されるまで、少しずつみんなで節電しようよ。
そして何より、実用化のほうを応援し、本気で考えようよ。
核のゴミが再利用できると言ったって、その原料ゴミのうち5%だけで、
残り95%は、汚染ゴミのまま廃棄なんだよ。
それに200年、絶対完全に、安全に保管できる技術なんて、日本では持てない。
地震だらけでやがて必ず密閉できなくなり、200年のうちにはどこかから漏れる。
ましてや高速炉なんて、まだまだ開発しきれない。
技術的失敗が起こっても、人間はそこへすぐに立ち入ることができないから。
それに従来の原子力施設のメンテナンス、浮浪者使って掃除などをさせるの、
電力会社はいつまで続けるつもり? それも企業の正当性や需要と供給の話にでもする?
もう、力を示して奪ってふんぞりかえりたい暴力的幼稚世界に憧れるの、やめない?
日本は、日本からまず、「自分が」心温かくなれて幸せになれる国を、つくろうよ……。
国際貢献も、人命救助と「生きていくための暮らしの確立」貢献に特化していって、さ。
そうやって、日本が持つ「相身互い」の心のほうを、
世界に伝え、売っていこうよ、細やかなサービス管理等の、ソフトとともに。
威嚇やふんぞり返りや最新国産武器や、命差し出し付きの人的資源でなく、さ……。
なぜ、その方法はダメで、武器や命を使ってでも従来のやり方だけで
古い頭のムカつく人を暴力的に威嚇して、
そうやってこっちも智恵の足りない人に成り下がって、
何が何でも超大国にならなくちゃいけないのだろう。
暴力的手段に訴え、人間としての心(と、ヘタすりゃ若者の命いっぱい)を捨ててまで、
テロリストを呼ぶことになっても、経済分野のみで争い、他国を従え、
お金のみで、世界一、豊かにならなくちゃいけないの?
それしか幸せになる方策はないの? 株式公開に頼りすぎの部分はないの?
最後に補足的に情報ひとつ。
人間という「種」を、生物学的に考えた場合、
違う遺伝子をできるだけ多様に残すことは
「生物学的戦略として合っている」という説明を。
これに近いことを、確か高校のときに学んだ記憶がある。
なぜ昆虫がこんなに多様化し、個別形態化(色違いや柄違い)も激しいのか、で。
人間も同じなんだよねー。
その意味でも殺し合いは「生物として向いていない戦略」だとわかるよ。
端的に言えば「(力の)弱いものが死ね」という発想なわけでしょ?
それ、弱肉強食ってことだよね。
理由はなんであれ、解決手段は暴力が強いモノ勝ち。
ならばそもそも障害のある人間は生きられないってわけ?
その視点とまったく同じ発想なんだよ、戦争って。なぜおかしいと思わないの?
憎しみ強すぎて感覚的に納得できなくても、この記事読んで、どう感じるのかな。
自分たちのほうが優秀とか、決めつける? 相手と同じ暴力的手段使ってでも。
(※1)「国境なき医師団」は完全なる民間団体で、
医療だけでなく生活の安全や避難生活における
暮らしの衛生や向上等の面でも活動している、とのこと。
定期額寄付は月額1500円~なので、私も検討しようと思っています。
フェイスブックでも、定期的に活動報告が行われています。
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