正当性、とは  その2

日付越えの3本目でやっと、戦争放棄の話にたどり着きました。

すみません。もうしばらくお付き合いください。

 

戦争の放棄、という世界唯一の内容を持つ、日本国憲法。

これを決めるときに総理大臣だったのが

幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)氏であり、

彼が語ったとされる「戦争放棄への志」について、

フェイスブックではちょくちょく、解説や記事が出ていた。

 

マッカーサー元帥に、武力と戦争の放棄について提案したのは

幣原首相だったんだよー、とか、

それに関するご本人へのインタビューの情報なども出ていて、

でもその語ってる回顧の内容、怪しいんじゃないの? とか。

http://ow.ly/yXayU

 

ってなことで、私も気になっていろいろ情報を探し、

当時の記録がいちばん正確そうな

国会図書館のまとめを元に、経緯をたどってみた

(このリンク先については後述します)。

 

以下、ツイッターとFBでダラダラつぶやいた情報のまとめと追加をば。

 

まず、日本に完全降伏を要求する「ポツダム宣言」は、

主に米国が作成し、英国と中華民国との共同声明として、

1945年(昭和20年)7月26日に発表された。

 

日本側がこの宣言の受諾を拒否するのは、米国もわかっていての発表。

でも一説では、「これで米国としては原子爆弾の投下理由も正当化できるうえ、

ソ連まで参戦するし、日本を追い詰められる……」と

先読みされていた、と。(※1)

 

その後、実際の原爆投下、ソ連の参戦と北方領土への進攻。

これにより「ソ連を通じての和平」をもくろんでいた日本も

とうとうあきらめ、ポツダム宣言を受諾したのが8月14日。

 

でも米国側も、この宣言のなかに「天皇制の廃止」までは、

反発が大きすぎて逆に降伏しないだろうから、と盛り込まなかった。

そしてまた、ドイツは連合国が主体となって民主化させるけれど、

日本は自主的な民主化を進めろ、と。

 

これは連合国側が「もともと日本国民は、

民主主義的な傾向を持っている」と観ていたためらしい。

そんな見解は当時、すでにあったのね……。

 

(※1) ウィキペディア「ポツダム宣言」 http://ow.ly/zoaTc

 

では、再建を任された日本は、どんな国をつくっていくのか。

国内で、その模索がさまざまに始まり、案が出始める。

 

ポツダム宣言では「戦闘解除と武器の没収」が決められており、

実際に日本は、すべての攻撃力を差し押さえられた。

敗戦兵は疲弊し、国民も開放感はあるものの意気消沈していた。

 

そうした背景もあって、同年(1945年)12月8日の

「帝国議会衆議院 予算委員会」では、すでに

「ガンジー氏のような非暴力」について、

会議の参加者のひとり、中谷武世理事が説明している。

 

「即(すなわ)チ 民族トシテ 身ニ 寸鉄ヲ 帯ビテ居ラヌト 云フコトガ、

却(かえっ)テ 非常ナ強味トモナルト 考ヘラレルノデ アリマス」(※2)

 

このあと、さらに続いて中谷理事は

「力で他民族を支配するようなことが『ない国』をつくる」ことが、

敗戦兵の生きがいとなり英霊たちの鎮魂となる、と。

 

「唯一ノ 途(みち)ハ 茲(ここ)ニアルト 考ヘルノデアリマス」

 

「茲(ここ)」とは、

武装していない日本が先頭に立って、世界を非武装へ導く「心の力」。

これに対し、幣原総理も「深キ同感」と述べている。(※2)

 

ポツダム宣言をただ受け容れるのではなく、

それを自国の力に変え、世界へまた日本が「はばたく」ためにこそ、

武力放棄を使っていこうではないか、と。

受諾4ヵ月後のこの時点でもう、会議ではそんな発言もあり、

総理大臣が「その通り」と言っている。

これこそが世界をリードできる「新しい日本の力」になりうる、と

言っていたのだ。

 

こうして「戦争放棄&非武装」も会議では話されたが、

憲法改正のための「問題調査委員会」委員長、松本烝治国務大臣は

同会議で、自分がすでに念頭に置いていた

4項目(1.天皇の統治権総覧の堅持、2.議会議決権の拡充、

3.国務大臣の議会に対する責任の拡大、

4.人民の自由・権利の保護強化)を述べ、(※2)

実際にその線で改正案作成を進めていく。

 

しかも松本国務大臣は、

「防衛のための最小限の軍備は国際的にOKとされるのでは?

それに将来、国連へ復帰したら

義務を果たすのに、軍が要るようになるのでは?」

という考えの持ち主。

で、松本国務大臣は、年末からこうした憲法改正案を作り始めるのだが、

そのうち彼の考える主要4項目については

翌年(1946年)2月1日に毎日新聞がこれをすっぱ抜き、

特ダネとして掲載。(※3)

 

その新聞記事を読んだGHQ総司令官、マッカーサー元帥は、

大日本帝国憲法と大差のない内容にがっかりし、すぐさま

自身で改正ポイントを箇条書きした「マッカーサーノート」を作成。

このマッカーサーノートのなかに「武力・戦争放棄」が書かれていた。(※4)

 

そしてGHQ本部は8つのチームを作り、それぞれのポイントについて検討し

独自の「草案」を作り始めた。

 

そうとは知らず、松本国務大臣は2月8日、

自分たちの委員会でつくった憲法改正案を、

なぜか「閣議を経ずに」GHQへ提出。(※5)

これは権限で可能だったのか? と思うが、詳細は不明。

 

このなかで松本国務大臣は、最低限の自衛(個別自衛権)に必要な

軍隊と武力の保持を「憲法で維持」することを案として出している。

もし、閣議を経ていたら、その内容は「全面的な武力・戦争放棄」に変わったかな。

それとも、同じ項目が残ったかな?

 

いずれにせよ、首相と国務大臣に、武力についての意見の相違が

あったことが伺える話だと思える。

 

で、2月13日、日本側は改正案に対する返事をもらえると思ったら

いきなりGHQの草案を見せられ、提出した改正案は「拒否」される。

日本はこの事態で相当な衝撃を受けたことが記録されている。(※6)

 

その後、日本側は松本案についての交渉を重ねようとしたけれど

(そうそう、このときの通訳や翻訳の責任者が、かの「白州次郎」氏です。

ニュアンスとか、きっとたいへんだったことでしょう)、

GHQは「草案を元にするように」という返答しかもう返さない。

 

そこで日本側も改めて、草案を元に憲法改正案を作ることになった。

この間、交渉では日米双方でたくさんの書簡往復がなされ、

幣原首相とマッカーサー元帥の対談なども行われた。

この公式対談は2月21日となっているので、最初のほうで

紹介したリンクの「回想録」は、日付の記憶or記録間違いなのか、

あるいはそのあと24日に、非公式対談でも行われていたか……。

 

少なくとも首相個人は、武力放棄の方向で

マッカーサー元帥と話が一致したのでは、と想像できる。

 

こうして、GHQ草案を元にした日本国憲法改正案ができ、

3月6日午後5時に「憲法改正草案要綱」が国民に発表された。(※7)

 

これらの改正作業に、結果として関わらなかった形になってしまった

枢密院議員への説明は3月20日に行われ、

そこで幣原首相が第九条について述べた言葉。

 

「第九ハ 何処(いづこorどこ)ノ憲法ニモ 類例ハ ナイト思フ。

日本ガ 戦争ヲ 抛棄(ほうき)シテ

他国モ 之(これ)ニ ツイテ来ルカ 否(いな)カニ 付(つい)テハ

余ハ 今日(こんにち) 直(ただち)ニ サウナルトハ 思ハヌガ、

戦争抛棄ハ 正義ニ基ク 正シイ道デアツテ

日本ハ 今日 此ノ大旗ヲ 掲ゲテ

国際社会ノ 原野ヲ トボトボト 歩イテユク」(※8)

 

なんかこれ、すごくない? トボトボと、でも先頭を歩く決意。

他国が付いてくるかどうか、と、敗戦国なのに、言える決意。

その困難な道のりの想像と、それでも落ち込んでいる日本国民のために

「これがよいのだ」と捉えている自信が、

首相自身のなかで、ない混ぜになっている気がする。

 

ここまでの、今回の私の話の情報源はこちら。

国立国会図書館のまとめトップページと、各注釈の資料です。

http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

(※2)国会図書館資料より http://ow.ly/yYZQN

(※3)国会図書館資料より http://ow.ly/zoIvX

(※4)国会図書館資料より http://ow.ly/zoLu9

(※5)国会図書館資料より http://ow.ly/zoJlK

(※6)国会図書館資料より http://ow.ly/zoMtY

(※7)国会図書館資料より http://ow.ly/zoPJ8

(※8)国会図書館資料より http://ow.ly/yZ8pk

 

これって全部、国会図書館の方が書いた「まとめ」だから、

これ以外にもっと「軍事万歳」な資料あるんじゃないの、とか、

そういう疑いの発想をする人がいるのも、想像はしている。

 

でも、私は、これらの資料を「選んで」まとめた担当者の方の

「人間としての善意」と「公平性」に、敬意を示したい。

そして資料そのものは決して憶測ではないから、ここの情報を元にしました。

 

で、現実論、ね。

じゃあおまえは、ガンジーのやり方を本当に選べるのか!? と言われたら、

はい、ええ、絶対に、選びます。

 

自分と血がつながった幼い命に、目の前で銃を突きつけられたら?

私は敵意がないことを示すため、その場でまず

相手の目をにらむのではなく、ずっと冷静に見つめながら!

真冬だろうが何だろうが、下着姿だけになって、

「私は平和を望みます」と書いた白い旗を掲げるよ

(「I hope the peace」でも、「我 望 平和」でも……、

攻撃が来そう、ってことになったら、白布と竹竿で事前に作っておくさ)。

 

で、それを掲げたまま、銃のごくごく近くまで、ゆっくりやわらかく、

ほほえみながら目を見つつ歩いて行って、

相手が訳わからず驚いている間に、

粘土なり自分の指なりを、おもむろに銃口に突っ込むよ。

だからそうか、粘土も事前準備だな。

そうしたら少なくとも銃は1丁、使えなくなる。

 

子どもの命を守るためなら、はい、だって私の身体だもん、

それくらいなら十分、張れます。

本気で約束できるよ。私は包丁なんて構えない。

身内の子どもたちにそんな姿、見せない。

 

人間の思い遣りと「人を愛し守る」気持ちを、

なめるなよ、って思えるからこそ、実行可能。

 

それでもし、その相手の仲間とかに、私が撃たれたら、

誰か、あとにつづいて同じことやってくれたらいいな、と願う。

お母さんとか、おばあさんとか、さ。それをただ素直に願う。

 

これをどうしても「戦い」と呼びたい人がいるのであれば、

じゃあ、はい、私はそうやって戦う、ってことだよ。

単なる主張だけどね、身体を張っての。

 

あともう1点。

「昭和30年代、岸内閣が『集団自衛権』をすでに一度、容認した」

という話が、まことしやかに昨今、ささやかれておりますが、

あれ、真っ赤な嘘だから。

 

「現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を

提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を

受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、

こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、

こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません」

ですよ。ごまかし&曲解もいいところだ。

http://ow.ly/zp3Bt

 

以上、日本人は第九条を欧米各国から押しつけられたのではなく、

敗戦したからこそ、立ち直るために「放棄」を自ら

誇りを持って、鎮魂のためにも選んだのだと私が思える、

まただからこそ、武器も戦争もお節介出兵なんかも

「二度と」いらないと思える、

その根拠についての説明でした。

 

人間としての誇りを、どう掲げるのか。

未来の子ども達に後ろ指を指されるようなやり方や、

「自分さえ安心なら、他人や未来の命は関係ない」という卑怯さなんて、

日本には、日本だからこそ、必要ないのです。

私には、そう思えます。

 

堂々と胸を張って、武器と戦争を放棄した国であることを、

全世界に主張したい。誇りに思っていきたい、これからも。

あ、殴られたら、殴り返しにいくかもね! でも殺さない。

どうせ同じ、命を賭けるしかない状況になるなら、

憎しみゆえの正当性より、人間としての正当性のほうへ、

自分の最後を賭けます。

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