正当性、とは  その1

さて。

前の話に続き、今度は、戦争という「正当性」についての検証。

 

日米が開戦したのは1941年12月8日、当時すでに

米国に併合されていたハワイ・オアフ島のパールハーバーへ、

日本が奇襲攻撃をしたことがきっかけである

(ハワイの、米国への併合は1898年)。

 

これに先立ち、まず7月26日に日本は鉄・石油などの輸入を止められ、

南方へその資源を求めるしかなくなる形で追い詰められた、という説もある。

しかも実は米国は、日本の攻撃を待っていた、それで米国内の世論を

味方につけて参戦したのだ、と。

 

けれどまあ、その前の7月2日には、すでに日本国内では

「南方にもっと進出して、資源の確保を強化するべき」という決定が

軍人も含んでの国会で決まってたようなんだよね。

だからどちらにしても、日米開戦は必須であった、とか。

Wikiから、「それぞれの立場の諸説と正当性」をざっとつかんでみてください。

http://ow.ly/znTkv

 

これ以前、すでに50年に渡り、日本は海外「進出」を始めていた。

これも、できるだけ多くの「異なった解釈」を載せてみようかな。

しかも一般人の方々のヤツを。

http://okwave.jp/qa/q1751307.html

 

で、そのそもそも、当時の「帝国主義」まで戻りましょう。

他国(他地域)を占領して、

もろもろの資源を、自国の繁栄に使う……。

古くは15世紀、スペイン・ポルトガルの南米等への進出に伴う

「強欲」から始まった、弱肉強食。殺せるもの勝ち。

アフリカ大陸から「人資源」が運ばれたり、

マヤ文明を持っていたインカ帝国が滅ぼされちゃったり……。

なんせ「新大陸」と呼んだのだからね、

そこに住んでる人は先住民、と呼んで。

米国だって「開拓」で、インディアンと戦ってたよね。

 

で、それがどんどん、激しくなっていった。

人種ごと滅ぼすなんてのも「強国として当たり前のやり方」。

 

今、ウイグルやチベットで行われている弾圧は、赤ん坊の殺害まで含み、

さまざまに非難されているけれど、公的には「内政不干渉」で済まされている。

なぜなら、たとえば英国だって、まんま同じことを

過去にやっていたから。

http://ameblo.jp/hidy0701/entry-11043517110.html

 

米国は今でも、文化保護等の施策は形式上、行いつつ

先住民たちをずっとこんなふうに扱っている。

http://withyoume.seesaa.net/article/145996630.html

 

現在も、こうして世界中でその影が引きずられている、

占領や植民地化、滅亡まで含めての施策。

それが「強い国にとってだけ」良いこと、とされて

朝鮮半島なんかも、狙われまくっていた。

 

日本は主にアジアで資源を奪ってウハウハしたかった。

戦争中、国内では、政治家&軍人に対し、

資源開発会社から接待工作の宴会つづき。

海外の資源を持ってきて、お金もジャブジャブ、毎晩ウハウハ。

これ、シャレじゃなく、若者を戦わせつつ、

国内はそんなのだったそうです(接待そのものの話について

記事が見つからない~! けっこう、まともな

学術系の記事で読んだ記憶があるのに。

とりあえずそのとき、裏を取るために、さらに探して読んでいた

「三井、三菱、住友、石原産業などが軍と結びついて進出」という

記事を紹介。「(3)資源の獲得と軍票」の項に記述あり。

『「大東亜共栄圏」の実態–日本軍占領下のアジア』

http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper41.htm )

 

アジア諸国を欧米の植民地圧力から解放した、独立させてあげた、

と、よく右の方々が力説される。それは一面では確か。

でもそうやってアジア各国で、わざわざ欧米と戦った理由は、

日本がアジアから直接、資源を持って行きたかったゆえ。

それも事実なのですよ。

そして日本流を押し付けたのも事実。

日本語を覚えて天皇を崇め奉れと、他国の人に

強制したのは、日本の「親切」だったとでも、言うつもりかしら。

 

さらに、それに反対した人を「反逆者」として扱ったのは、

日本人じゃなかった、とでも? 各国の首脳陣の勝手な行動?

指令したのも、判断したのも全部、その国の人たち?

武器では一切、脅さなかった?

どうしてもそう言うならいいでしょう、でも現地の幹部連中と

結託して、日本人の政治家と軍人がウハウハしたことまでは

否定できないよね? 何を「持ってきてウハウハ」してたんでしょう?

 

日本人が折り目正しく完璧に礼儀正しく素晴らしかったのであれば、

じゃあなんで、「抗日」なんて言葉が生まれたんでしょう。

その恨みがまだ、お隣の国々から“現在”も、送られて来ているのですが。

だからこそ“戦後”から、お隣の国々の「教育」が、

日本を恨んでヨシ、になってんじゃないの?

そこはどう解釈するの? 勝手な逆恨み?

 

……こういう背景があって、

各国の思惑があって、駆け引きがあって、

最後には実験したかっただけなのか、

戦争を終わらせるために仕方なくなのか、

日本もいずれ開発していたに違いないから、作れたものは

先に使うしかなかったからなのか、まあ、本当にこれは

諸説ふんぷん、ございますが、日本に「原爆投下」が起こりました、と。

ロシアも参戦しました、と。

 

そして、ポツダム宣言受諾と憲法改正、ですよ。

ここまでの背景、ものすごくおおざっぱですが、

あえて、日本にだって非はないわけじゃないんじゃない?

という視点で、まとめてみました。

正当性に、いろいろな形があるのだと。

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」で、

他人の命を消す「正当性」を欲するのは、

前世紀までで、いいんじゃないの?

 

決死の覚悟をした特攻隊の人たちが「日本と家族を守りたかった」のも

追い詰められていれば人として当たり前の話かもよ。

私だって、そう考えたかもしれない。

 

でも、じゃあ、ほかの国の人は、そうではなかったと?

そうした「本当に苦しいときの、人の思いやる心」を、

まさかの「日本人の美徳」であるかのような美談に仕立て上げまくる、

永遠のハゲの話は、だから私、本を破って棄てたんです。

 

ましてや、人を一瞬にして蒸発させるように消し去り、

座っていた跡だけ残す(これは原爆資料館の説明によると、

“強烈な熱線のため、石段の表面は白っぽく変化し、

人が腰掛けていたと思われる中央の部分だけが

影のように黒くなって残りました”だそうです)、

そんな武器を持つべき、なんて発言をする

田んぼの母親の神様は、まさにやっぱり「人」じゃないよね。

その発想の段階ですでに、人じゃなくて、

権力と「攻撃欲」におぼれた化け物だと、私は感じる。

攻撃力の強さと、その「正当性」を、

まるで自分のものであるかのように自慢し、酔いしれたいのだろうと。

 

次につづく……。

いったん休憩します。

 

 

 

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