カテゴリー別アーカイブ: 社会のこと(私の捉え方)

正当性、とは  その2

日付越えの3本目でやっと、戦争放棄の話にたどり着きました。

すみません。もうしばらくお付き合いください。

 

戦争の放棄、という世界唯一の内容を持つ、日本国憲法。

これを決めるときに総理大臣だったのが

幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)氏であり、

彼が語ったとされる「戦争放棄への志」について、

フェイスブックではちょくちょく、解説や記事が出ていた。

 

マッカーサー元帥に、武力と戦争の放棄について提案したのは

幣原首相だったんだよー、とか、

それに関するご本人へのインタビューの情報なども出ていて、

でもその語ってる回顧の内容、怪しいんじゃないの? とか。

http://ow.ly/yXayU

 

ってなことで、私も気になっていろいろ情報を探し、

当時の記録がいちばん正確そうな

国会図書館のまとめを元に、経緯をたどってみた

(このリンク先については後述します)。

 

以下、ツイッターとFBでダラダラつぶやいた情報のまとめと追加をば。

 

まず、日本に完全降伏を要求する「ポツダム宣言」は、

主に米国が作成し、英国と中華民国との共同声明として、

1945年(昭和20年)7月26日に発表された。

 

日本側がこの宣言の受諾を拒否するのは、米国もわかっていての発表。

でも一説では、「これで米国としては原子爆弾の投下理由も正当化できるうえ、

ソ連まで参戦するし、日本を追い詰められる……」と

先読みされていた、と。(※1)

 

その後、実際の原爆投下、ソ連の参戦と北方領土への進攻。

これにより「ソ連を通じての和平」をもくろんでいた日本も

とうとうあきらめ、ポツダム宣言を受諾したのが8月14日。

 

でも米国側も、この宣言のなかに「天皇制の廃止」までは、

反発が大きすぎて逆に降伏しないだろうから、と盛り込まなかった。

そしてまた、ドイツは連合国が主体となって民主化させるけれど、

日本は自主的な民主化を進めろ、と。

 

これは連合国側が「もともと日本国民は、

民主主義的な傾向を持っている」と観ていたためらしい。

そんな見解は当時、すでにあったのね……。

 

(※1) ウィキペディア「ポツダム宣言」 http://ow.ly/zoaTc

 

では、再建を任された日本は、どんな国をつくっていくのか。

国内で、その模索がさまざまに始まり、案が出始める。

 

ポツダム宣言では「戦闘解除と武器の没収」が決められており、

実際に日本は、すべての攻撃力を差し押さえられた。

敗戦兵は疲弊し、国民も開放感はあるものの意気消沈していた。

 

そうした背景もあって、同年(1945年)12月8日の

「帝国議会衆議院 予算委員会」では、すでに

「ガンジー氏のような非暴力」について、

会議の参加者のひとり、中谷武世理事が説明している。

 

「即(すなわ)チ 民族トシテ 身ニ 寸鉄ヲ 帯ビテ居ラヌト 云フコトガ、

却(かえっ)テ 非常ナ強味トモナルト 考ヘラレルノデ アリマス」(※2)

 

このあと、さらに続いて中谷理事は

「力で他民族を支配するようなことが『ない国』をつくる」ことが、

敗戦兵の生きがいとなり英霊たちの鎮魂となる、と。

 

「唯一ノ 途(みち)ハ 茲(ここ)ニアルト 考ヘルノデアリマス」

 

「茲(ここ)」とは、

武装していない日本が先頭に立って、世界を非武装へ導く「心の力」。

これに対し、幣原総理も「深キ同感」と述べている。(※2)

 

ポツダム宣言をただ受け容れるのではなく、

それを自国の力に変え、世界へまた日本が「はばたく」ためにこそ、

武力放棄を使っていこうではないか、と。

受諾4ヵ月後のこの時点でもう、会議ではそんな発言もあり、

総理大臣が「その通り」と言っている。

これこそが世界をリードできる「新しい日本の力」になりうる、と

言っていたのだ。

 

こうして「戦争放棄&非武装」も会議では話されたが、

憲法改正のための「問題調査委員会」委員長、松本烝治国務大臣は

同会議で、自分がすでに念頭に置いていた

4項目(1.天皇の統治権総覧の堅持、2.議会議決権の拡充、

3.国務大臣の議会に対する責任の拡大、

4.人民の自由・権利の保護強化)を述べ、(※2)

実際にその線で改正案作成を進めていく。

 

しかも松本国務大臣は、

「防衛のための最小限の軍備は国際的にOKとされるのでは?

それに将来、国連へ復帰したら

義務を果たすのに、軍が要るようになるのでは?」

という考えの持ち主。

で、松本国務大臣は、年末からこうした憲法改正案を作り始めるのだが、

そのうち彼の考える主要4項目については

翌年(1946年)2月1日に毎日新聞がこれをすっぱ抜き、

特ダネとして掲載。(※3)

 

その新聞記事を読んだGHQ総司令官、マッカーサー元帥は、

大日本帝国憲法と大差のない内容にがっかりし、すぐさま

自身で改正ポイントを箇条書きした「マッカーサーノート」を作成。

このマッカーサーノートのなかに「武力・戦争放棄」が書かれていた。(※4)

 

そしてGHQ本部は8つのチームを作り、それぞれのポイントについて検討し

独自の「草案」を作り始めた。

 

そうとは知らず、松本国務大臣は2月8日、

自分たちの委員会でつくった憲法改正案を、

なぜか「閣議を経ずに」GHQへ提出。(※5)

これは権限で可能だったのか? と思うが、詳細は不明。

 

このなかで松本国務大臣は、最低限の自衛(個別自衛権)に必要な

軍隊と武力の保持を「憲法で維持」することを案として出している。

もし、閣議を経ていたら、その内容は「全面的な武力・戦争放棄」に変わったかな。

それとも、同じ項目が残ったかな?

 

いずれにせよ、首相と国務大臣に、武力についての意見の相違が

あったことが伺える話だと思える。

 

で、2月13日、日本側は改正案に対する返事をもらえると思ったら

いきなりGHQの草案を見せられ、提出した改正案は「拒否」される。

日本はこの事態で相当な衝撃を受けたことが記録されている。(※6)

 

その後、日本側は松本案についての交渉を重ねようとしたけれど

(そうそう、このときの通訳や翻訳の責任者が、かの「白州次郎」氏です。

ニュアンスとか、きっとたいへんだったことでしょう)、

GHQは「草案を元にするように」という返答しかもう返さない。

 

そこで日本側も改めて、草案を元に憲法改正案を作ることになった。

この間、交渉では日米双方でたくさんの書簡往復がなされ、

幣原首相とマッカーサー元帥の対談なども行われた。

この公式対談は2月21日となっているので、最初のほうで

紹介したリンクの「回想録」は、日付の記憶or記録間違いなのか、

あるいはそのあと24日に、非公式対談でも行われていたか……。

 

少なくとも首相個人は、武力放棄の方向で

マッカーサー元帥と話が一致したのでは、と想像できる。

 

こうして、GHQ草案を元にした日本国憲法改正案ができ、

3月6日午後5時に「憲法改正草案要綱」が国民に発表された。(※7)

 

これらの改正作業に、結果として関わらなかった形になってしまった

枢密院議員への説明は3月20日に行われ、

そこで幣原首相が第九条について述べた言葉。

 

「第九ハ 何処(いづこorどこ)ノ憲法ニモ 類例ハ ナイト思フ。

日本ガ 戦争ヲ 抛棄(ほうき)シテ

他国モ 之(これ)ニ ツイテ来ルカ 否(いな)カニ 付(つい)テハ

余ハ 今日(こんにち) 直(ただち)ニ サウナルトハ 思ハヌガ、

戦争抛棄ハ 正義ニ基ク 正シイ道デアツテ

日本ハ 今日 此ノ大旗ヲ 掲ゲテ

国際社会ノ 原野ヲ トボトボト 歩イテユク」(※8)

 

なんかこれ、すごくない? トボトボと、でも先頭を歩く決意。

他国が付いてくるかどうか、と、敗戦国なのに、言える決意。

その困難な道のりの想像と、それでも落ち込んでいる日本国民のために

「これがよいのだ」と捉えている自信が、

首相自身のなかで、ない混ぜになっている気がする。

 

ここまでの、今回の私の話の情報源はこちら。

国立国会図書館のまとめトップページと、各注釈の資料です。

http://www.ndl.go.jp/constitution/index.html

(※2)国会図書館資料より http://ow.ly/yYZQN

(※3)国会図書館資料より http://ow.ly/zoIvX

(※4)国会図書館資料より http://ow.ly/zoLu9

(※5)国会図書館資料より http://ow.ly/zoJlK

(※6)国会図書館資料より http://ow.ly/zoMtY

(※7)国会図書館資料より http://ow.ly/zoPJ8

(※8)国会図書館資料より http://ow.ly/yZ8pk

 

これって全部、国会図書館の方が書いた「まとめ」だから、

これ以外にもっと「軍事万歳」な資料あるんじゃないの、とか、

そういう疑いの発想をする人がいるのも、想像はしている。

 

でも、私は、これらの資料を「選んで」まとめた担当者の方の

「人間としての善意」と「公平性」に、敬意を示したい。

そして資料そのものは決して憶測ではないから、ここの情報を元にしました。

 

で、現実論、ね。

じゃあおまえは、ガンジーのやり方を本当に選べるのか!? と言われたら、

はい、ええ、絶対に、選びます。

 

自分と血がつながった幼い命に、目の前で銃を突きつけられたら?

私は敵意がないことを示すため、その場でまず

相手の目をにらむのではなく、ずっと冷静に見つめながら!

真冬だろうが何だろうが、下着姿だけになって、

「私は平和を望みます」と書いた白い旗を掲げるよ

(「I hope the peace」でも、「我 望 平和」でも……、

攻撃が来そう、ってことになったら、白布と竹竿で事前に作っておくさ)。

 

で、それを掲げたまま、銃のごくごく近くまで、ゆっくりやわらかく、

ほほえみながら目を見つつ歩いて行って、

相手が訳わからず驚いている間に、

粘土なり自分の指なりを、おもむろに銃口に突っ込むよ。

だからそうか、粘土も事前準備だな。

そうしたら少なくとも銃は1丁、使えなくなる。

 

子どもの命を守るためなら、はい、だって私の身体だもん、

それくらいなら十分、張れます。

本気で約束できるよ。私は包丁なんて構えない。

身内の子どもたちにそんな姿、見せない。

 

人間の思い遣りと「人を愛し守る」気持ちを、

なめるなよ、って思えるからこそ、実行可能。

 

それでもし、その相手の仲間とかに、私が撃たれたら、

誰か、あとにつづいて同じことやってくれたらいいな、と願う。

お母さんとか、おばあさんとか、さ。それをただ素直に願う。

 

これをどうしても「戦い」と呼びたい人がいるのであれば、

じゃあ、はい、私はそうやって戦う、ってことだよ。

単なる主張だけどね、身体を張っての。

 

あともう1点。

「昭和30年代、岸内閣が『集団自衛権』をすでに一度、容認した」

という話が、まことしやかに昨今、ささやかれておりますが、

あれ、真っ赤な嘘だから。

 

「現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を

提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を

受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、

こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、

こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません」

ですよ。ごまかし&曲解もいいところだ。

http://ow.ly/zp3Bt

 

以上、日本人は第九条を欧米各国から押しつけられたのではなく、

敗戦したからこそ、立ち直るために「放棄」を自ら

誇りを持って、鎮魂のためにも選んだのだと私が思える、

まただからこそ、武器も戦争もお節介出兵なんかも

「二度と」いらないと思える、

その根拠についての説明でした。

 

人間としての誇りを、どう掲げるのか。

未来の子ども達に後ろ指を指されるようなやり方や、

「自分さえ安心なら、他人や未来の命は関係ない」という卑怯さなんて、

日本には、日本だからこそ、必要ないのです。

私には、そう思えます。

 

堂々と胸を張って、武器と戦争を放棄した国であることを、

全世界に主張したい。誇りに思っていきたい、これからも。

あ、殴られたら、殴り返しにいくかもね! でも殺さない。

どうせ同じ、命を賭けるしかない状況になるなら、

憎しみゆえの正当性より、人間としての正当性のほうへ、

自分の最後を賭けます。

2014_07_21_2.png

 

 

 

 

 

 

 

 

正当性、とは  その1

さて。

前の話に続き、今度は、戦争という「正当性」についての検証。

 

日米が開戦したのは1941年12月8日、当時すでに

米国に併合されていたハワイ・オアフ島のパールハーバーへ、

日本が奇襲攻撃をしたことがきっかけである

(ハワイの、米国への併合は1898年)。

 

これに先立ち、まず7月26日に日本は鉄・石油などの輸入を止められ、

南方へその資源を求めるしかなくなる形で追い詰められた、という説もある。

しかも実は米国は、日本の攻撃を待っていた、それで米国内の世論を

味方につけて参戦したのだ、と。

 

けれどまあ、その前の7月2日には、すでに日本国内では

「南方にもっと進出して、資源の確保を強化するべき」という決定が

軍人も含んでの国会で決まってたようなんだよね。

だからどちらにしても、日米開戦は必須であった、とか。

Wikiから、「それぞれの立場の諸説と正当性」をざっとつかんでみてください。

http://ow.ly/znTkv

 

これ以前、すでに50年に渡り、日本は海外「進出」を始めていた。

これも、できるだけ多くの「異なった解釈」を載せてみようかな。

しかも一般人の方々のヤツを。

http://okwave.jp/qa/q1751307.html

 

で、そのそもそも、当時の「帝国主義」まで戻りましょう。

他国(他地域)を占領して、

もろもろの資源を、自国の繁栄に使う……。

古くは15世紀、スペイン・ポルトガルの南米等への進出に伴う

「強欲」から始まった、弱肉強食。殺せるもの勝ち。

アフリカ大陸から「人資源」が運ばれたり、

マヤ文明を持っていたインカ帝国が滅ぼされちゃったり……。

なんせ「新大陸」と呼んだのだからね、

そこに住んでる人は先住民、と呼んで。

米国だって「開拓」で、インディアンと戦ってたよね。

 

で、それがどんどん、激しくなっていった。

人種ごと滅ぼすなんてのも「強国として当たり前のやり方」。

 

今、ウイグルやチベットで行われている弾圧は、赤ん坊の殺害まで含み、

さまざまに非難されているけれど、公的には「内政不干渉」で済まされている。

なぜなら、たとえば英国だって、まんま同じことを

過去にやっていたから。

http://ameblo.jp/hidy0701/entry-11043517110.html

 

米国は今でも、文化保護等の施策は形式上、行いつつ

先住民たちをずっとこんなふうに扱っている。

http://withyoume.seesaa.net/article/145996630.html

 

現在も、こうして世界中でその影が引きずられている、

占領や植民地化、滅亡まで含めての施策。

それが「強い国にとってだけ」良いこと、とされて

朝鮮半島なんかも、狙われまくっていた。

 

日本は主にアジアで資源を奪ってウハウハしたかった。

戦争中、国内では、政治家&軍人に対し、

資源開発会社から接待工作の宴会つづき。

海外の資源を持ってきて、お金もジャブジャブ、毎晩ウハウハ。

これ、シャレじゃなく、若者を戦わせつつ、

国内はそんなのだったそうです(接待そのものの話について

記事が見つからない~! けっこう、まともな

学術系の記事で読んだ記憶があるのに。

とりあえずそのとき、裏を取るために、さらに探して読んでいた

「三井、三菱、住友、石原産業などが軍と結びついて進出」という

記事を紹介。「(3)資源の獲得と軍票」の項に記述あり。

『「大東亜共栄圏」の実態–日本軍占領下のアジア』

http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper41.htm )

 

アジア諸国を欧米の植民地圧力から解放した、独立させてあげた、

と、よく右の方々が力説される。それは一面では確か。

でもそうやってアジア各国で、わざわざ欧米と戦った理由は、

日本がアジアから直接、資源を持って行きたかったゆえ。

それも事実なのですよ。

そして日本流を押し付けたのも事実。

日本語を覚えて天皇を崇め奉れと、他国の人に

強制したのは、日本の「親切」だったとでも、言うつもりかしら。

 

さらに、それに反対した人を「反逆者」として扱ったのは、

日本人じゃなかった、とでも? 各国の首脳陣の勝手な行動?

指令したのも、判断したのも全部、その国の人たち?

武器では一切、脅さなかった?

どうしてもそう言うならいいでしょう、でも現地の幹部連中と

結託して、日本人の政治家と軍人がウハウハしたことまでは

否定できないよね? 何を「持ってきてウハウハ」してたんでしょう?

 

日本人が折り目正しく完璧に礼儀正しく素晴らしかったのであれば、

じゃあなんで、「抗日」なんて言葉が生まれたんでしょう。

その恨みがまだ、お隣の国々から“現在”も、送られて来ているのですが。

だからこそ“戦後”から、お隣の国々の「教育」が、

日本を恨んでヨシ、になってんじゃないの?

そこはどう解釈するの? 勝手な逆恨み?

 

……こういう背景があって、

各国の思惑があって、駆け引きがあって、

最後には実験したかっただけなのか、

戦争を終わらせるために仕方なくなのか、

日本もいずれ開発していたに違いないから、作れたものは

先に使うしかなかったからなのか、まあ、本当にこれは

諸説ふんぷん、ございますが、日本に「原爆投下」が起こりました、と。

ロシアも参戦しました、と。

 

そして、ポツダム宣言受諾と憲法改正、ですよ。

ここまでの背景、ものすごくおおざっぱですが、

あえて、日本にだって非はないわけじゃないんじゃない?

という視点で、まとめてみました。

正当性に、いろいろな形があるのだと。

 

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」で、

他人の命を消す「正当性」を欲するのは、

前世紀までで、いいんじゃないの?

 

決死の覚悟をした特攻隊の人たちが「日本と家族を守りたかった」のも

追い詰められていれば人として当たり前の話かもよ。

私だって、そう考えたかもしれない。

 

でも、じゃあ、ほかの国の人は、そうではなかったと?

そうした「本当に苦しいときの、人の思いやる心」を、

まさかの「日本人の美徳」であるかのような美談に仕立て上げまくる、

永遠のハゲの話は、だから私、本を破って棄てたんです。

 

ましてや、人を一瞬にして蒸発させるように消し去り、

座っていた跡だけ残す(これは原爆資料館の説明によると、

“強烈な熱線のため、石段の表面は白っぽく変化し、

人が腰掛けていたと思われる中央の部分だけが

影のように黒くなって残りました”だそうです)、

そんな武器を持つべき、なんて発言をする

田んぼの母親の神様は、まさにやっぱり「人」じゃないよね。

その発想の段階ですでに、人じゃなくて、

権力と「攻撃欲」におぼれた化け物だと、私は感じる。

攻撃力の強さと、その「正当性」を、

まるで自分のものであるかのように自慢し、酔いしれたいのだろうと。

 

次につづく……。

いったん休憩します。

 

 

 

私たちの「正義」

不思議なことに国単位であれば、

一方の側にとって正しいことが

なぜかもう一方を「殺してしまっていい理由」にさえなる。

そしてそれはそのとき、「正義」と呼ばれる。

 

以下の4つ(+おまけ1)を読んで、

日本がイスラエルに武器を輸出しないで済む方向を

一緒に探ってほしい。

日本が、「どちらかのみの正義」に加担しないで済む方向へ。

命を、金儲けに使わない方向へ。

 

根本的に、おかしいと思わない?

考え方が違う人間は殺しちゃいたいんだけど、

と脅しで言われた(?)からって「じゃあこっちも」って、

あっさり武器を持って、威嚇し返すこと、そのものが。

 

それ、何も「終わらない」。

悲惨な結果をいつか生み出して、諦めがつくまで、

永遠の“憎しみ合い”が、「始まる」だけ。

その、まさに今、憎しみ合いの激化が進行中の事例。

 

これ、まともに読んでみてほしい。

平和なありがたさがしみるよ、「海の日」という祝日。

それを感じてくださることを、本気で願う。

 

まず現地ジャーナリストと日本の新聞からの情報2つ。

【ガザ発】 「イスラエルはなぜ私たちの子供を殺すのか」 @tanakaryusakuさんから (悲しい写真があるので、覚悟して、でもお読みください)

http://ow.ly/znbSj

 

ガザ:死者400人超える…戦闘激化、医療態勢は崩壊寸前 – 毎日新聞

http://ow.ly/znbPO

 

次、当事者たちの「双方に理由がある言い分」2つ。

ハマスは実際、砲撃を阻止しようとしてた。

子どもを殺した兵士たちは、捕まる「かも」しれない?

いずれにせよ、どちらも、「自分たちが愛する人を

守りたいだけ」なのだと、よくわかるよ。

RT@yasegamanA: 凄い時代だなぁ。

【ガザ地区在住】パレスチナ市民だけど、なんか質問ある?

http://ow.ly/zncyi

 

【ガザ地区】イスラエル軍兵士だけど、なんか質問ある?

http://ow.ly/zncBv

 

最後におまけ。私たちが「どういう受け止め方をするか」の

危険性について。

イスラエル側に関する報道を見て、ハマスが戦闘を激化すれば

イスラエルはさらに、市街地への攻撃を大規模化できる。

メディアを読む私たちが、ひとつの情報に頼らず

しっかり情報を探さないと、こうやって

虐殺に加担さえしていくことになる。

http://ow.ly/zncb5

 

さあ、いかがでしょうか。

これ、日本人も将来、同じ穴のムジナになることを選ぶ?

イスラエルに武器を輸出して加担する?

将来、もしかしたらハマスからテロ受ける?

さらには隣の大国と、同じようにお互いの正義を

どちらかが負けるまで、ぶつけ合うってこと?

それを子どもたちにも引き継がせるってこと?

 

始めちゃったものは仕方ない、とか言って逃げるなよ。

それに机上の空論で、偉そうぶって高みの見物もするなよ。

あの最初の記事の写真の、子どもを抱えた男性が、

「あなたの子どもと孫である」日が来るかもしれない道を、

日本は歩み始めようとしてるんだから。

それをどうするか、あなたが今、

まさに「選ぶ立場にある大人」なんだから。

 

それでも、武器を作って売って持って、軍隊強化して、

場合によっては若者に「人殺しさせる」のは、

相手から威嚇されたんだから、正しい道かしら。

本当に、人間として、正しい道、なのかしら。

それを、日本人である私たちは「選ばねばならない」かしら。

ほかにもある「誤解をお互いに解いていく」道は、

どうして、ダメなのかしら。

 

あとでもう1本、日本が「戦争放棄を決めたころ」の話を書きます。

 

 

(※追記あり)情報としての、話

最近拾ってきた「方向性」の情報で、

んあ? と「疑問に思ったこと」いろいろ。

その方向とは違うところへ進んでいくために、

今、何ができるか、を考える。

そのためにこうした情報を自分で整理し、

お知らせもしてみます。

話を始める前にお伝えしておくと、私は

民族や国籍などに関係なく「命」は大切だと思う者、

平和を「愛する」この国を、愛して誇りに思っている者、

そしてあらゆる生命は「自然から賜った貴重な贈り物」

だと捉える者、です。

この自然、という枠は、人の命だけでなく

地球のすべての命や、石や岩や水、気体、太陽や星々などまで含みます。

私には一切、それらの仕組みを作れません。

ゆえにありがたく、自分のために、自然と太陽の恵みや、

月や星座からの慰めや、他の生命体の「命」を毎日、いただいています。

ええ、植物も含め。

そういうスタンスからの情報提供として、お読みください。

まず、TPP。

メリットよりもデメリットのほうが多いな、と感じていますが

最近、驚いたのが以下3つ(これらの情報ソースは

いろいろ探しにいったんだけど、

日本語で書いてあるのがまだ少なくて……残念)。

米国企業から言いがかりのような形で他国企業が訴訟を起こされ、

しかもそれは米国内で審議されるため「米国側が必ず勝ち」になって、

負けた企業のほうは巨額の補償費用を払わされるという、

そのルール自体が一緒に入ってくる、らしい。

さらに次の2つも。

ひとつめ、遺伝子組み換え食材。なんとなんと、輸入の際に、

「組み換えなし」という表示が「された」ものを扱うことは、

TPPのルールで、逆に違反になってしまうらしく。

で、さらにBSE検査がまったく済んでいない牛肉も入ってくるそう。

狂牛病にかかっている牛の肉かどうか、

ロシアンルーレット化するの? じゃあ。

レストランとか、どうするんだろう、どうなるんだろう。

この関連の情報を追っかけていってさらに笑えた情報。

その遺伝子組み換え植物の「種子」を扱って

世界中でボロ儲けしている巨大企業、

米・モンサント社の社員食堂って、

遺伝子組み換え食材を一切、取り入れていないんだって!

さあ、なぜでしょうね?

日本のメーカーの、某パン製造会社の社長も、

自社のパンは絶対に食べないって噂、ありましたよね(笑)

次、防衛系行きます。

武器の輸出、部品の輸入で、今度は

EU&アメリカ&アラブ&アジアまで交え、

グローバルな「武器ムラ」の仕組みができつつあり、

実際に稼動も始めたいようです。

最近、海外へ行ってきている我が国の首相は、その外遊で

武器製造LOVE(ウチ、製造して売りたいよ!)の

日本の重工業系メーカー関係者をぞろぞろ引き連れ、

彼らとともに「国際的な安全に積極的に取り組みます」って、

各国を回っておられるみたいです。

「原子力ムラ」で資金稼ぐの、限界見えてきちゃったからね。

とはいえ「再生処理」「高速炉」は手放す気がない、

プルトニウム持ってないと、イヤだから。

その代償のひとつが、現在まさに、海外で働いている

国際ボランティア等の「命の危険性」(憲法の解釈を

変えるだけでも、もう、逆に命を狙われる危険性が

グッと上がるらしいですよ。実質、九条の放棄だということで

他国から、日本への不信感が高まって)と、あと少なくとも

自衛隊の若い隊員たちの「命の危険性」だそうですが。

アジアへ「お節介仲裁」しに行くと、結局は牛耳れると思ってるから

仲裁しに行きたいだけ、なんじゃないの? アジア版・米国の真似。

そのために少なくとも海外ボランティアや若者の命、

使いたい放題ってか?(少なくとも、と、何度も

わざわざ注釈をつける理由、おわかりですよね。

解釈変更「し過ぎて」他国に「強く」貢献することで、

国際的な過激派が「日本は危険」と解釈したら?

テロ? 誘拐や拉致? さて他には? しかもどこでそれを?)

アメリカ人が日本人の命を守ってくれてるのに、

日本は何もしないのか、って?

うん、じゃあ日本の領海内、または海外でも、

相手が「先に」攻撃してきたときだけ、とか、

そういう「他国から誤解の起きようもない」確実な限定条件、

せめてつければいいんじゃないの?

そんな方向性、調べても非自民の小さいところ以外

ほとんど出てこないんですけど、現状で。

それに米国が、日本での軍事系を手放すと本気で考えるのかな?

巨額のお金、払ってるんでしょう?

すでに巨額のお金を「投資してきて」

何十年も、米国に「守ってもらう」体制を作ってきた、

じゃあ、自国防衛という形で今回、それまでの金を

どんどんドブに捨て始めて(実はその陰でずっと、

米国から多額の資金提供を個人的に受け取りまくった政治家も、

多数存在してきた「らしい」のに……って

これ、あくまで隠してるそうで

ここ数年、アメリカ側の資料公開によって

それがバレつつあるんだそうですね~)、

かつ、今後は米国からあんまり(ってどの程度なんだろう)

守ってもらわなくてもいいようにする?

いや、もうすでに、裏の関係がズブズブすぎるから、

そんな簡単に縁を切れるはずもなく、

そこを無理やり縁切ったら、それこそいろいろ孤立しますよ、

経済面とか食料とか意地悪されるかもですよ、今の段階ではまだ。

本当にそもそも、ですよ、これだけ今までお金を出してきた国を、

米国があきらめると思う?

敗戦国という扱い、いまだに言われてしまうわけですよ?

実際「第二次世界大戦の陰影」が残っているから、

チベットやウイグルが国際的に「あのまま」にされている。

だってあそこは隣の国の「自治区」だから。

ウチでは、自国内で血を混ぜることを選びます、以上。

「内政不干渉」は、英国やフランスや米国が、自分たちも

突っ込まれたらめちゃくちゃ困るから(覚えてますか~?

フォークランド紛争なんて1982年、結構、最近の話なんですよ~)、

国際的には何も、言われていない。

いまだに、そうなのです、まだ。残念ながら。

で、日本に攻めてくるのって、

もうウイグル並みの危険度があるの?

内政不干渉、と世界中で認識されるほど、

日本は現在、国際的には隣の大国の「自治区」扱いなわけ?

お隣って、挑発してきては「攻撃されるの」待ってるわけでしょ、

本気で相手と同じ発想レベルまで落ちて、それに乗るの?

これは個人的予想ですが、始めたらたぶん延々、

嫌がらせなゲリラ戦、展開されますよ? はい、テロ中心でね。

いったん始めてしまったら、止まりませんよ、そのテロ。

かつ他国の過激派も、儲かりたいから絡んでくるだろうし。

だって、お隣の政治・軍事的仕組みは今のところ、

個人の、家族や親族の命や生活を丸ごと人質にしてから、

その個人を部下にして、命令出せるんですよ?

それで、日本は「勝つ」ところまで、たどり着けるのかなあ? 本当に。

……ま、こういうこと書くと、

非国民、とか言われるんだろうなあ(笑)

別に米国LOVEでもアジアLOVEでもないんだけど。

国としては日本LOVEなんだけど。

「堂々と主張する」、その方向性が違うと思うだけ……。

あと、福島県の子どもの甲状腺がん、発表になりましたね。

甲状腺がんと診断が確定した子ども50人、疑いありは39人。

国立がん研究センターなどの統計では、これまで

10代の甲状腺がん発症率って、

100万人に1~9人程度(バラつき多いな)とされてきたそうなのに。

福島県では、37万人を対象に検査してきて、

今のところ、29万人のデータがまとめられ、その結果が50人。

残りの人は不明なわけだから、まあ、今は37万人として

単純に2.7倍してみましょうか。それでも

100万人のうち135人くらい、になってますけど?

え? 100万人に1~9人程度、だったはずなのに?

しかも3年過ぎた段階で、もう?

チェルノブイリでは4~5年後から甲状腺がんの

発症率が急増したそうですよ……?

でも「直接的な健康被害は出ていない」って

この前も、田植えされてましたよね。

まあ、因果関係は「証明されない」わけですがね、

まだ、というか、果たしてこの先……。

ある一人の、かけがえのない大切な子どもの命に対する

「苦しみ」が、ひとつの県だけで、もう

50軒分、50家族の分、すでに発生している。

これから一生、ずっと怖いであろう、その苦しみが。

でもって福島第1原発の、3号機の格納容器、

破損していたらしいですね。

格納容器の破損は、とてもとてもヤバイ! と言われてたはずなのに。

このままでは地下水、汚染されちゃいますね、さらに。

地下土壌だけでなく、海へも流れていきますね。

今、汲み出してる(そして機械が壊れたりしてる)汚染水、

それどころじゃない、比較にならないくらい

高い濃度の水が流出するかも、と、恐れられているのですが?

人が絶対に入れない格納容器の外側の部分、

どうやって調べて、どう防いでいけるのでしょう?

コントロール、確か、完璧なんですよね?

……キツイ現実。

ねえ、これらの「舵取り」の責任、誰が引き受けられるの?

どこの誰が代償、払うの? しかも命で、ってこと?

自然まで含め全部、だよ?

これも張っておこうかな。NHKが残してくれている動画記事。

「人の価値は、何を言うかでなく、何をするかで決まる」

1992年、12歳のとき、

どうかあななたち大人が、私たち子どもの手本になってください、と

リオの国連会議で訴えたセヴァン・スズキさん。

もしよかったら下記の、あのときの彼女の発言も聞いて欲しい。

軍備より先に、お金を使ってやること、あるんじゃない? やっぱり。

http://cgi4.nhk.or.jp/eco-channel/jp/movie/play.cgi?did=D0013770650_00000

てなことで、どうしても原子力関連事業は放棄したくなくて

しかも軍事系も始めて、国民(と他国の人間や地球の自然)の

命よりはずっと、個人でも党でも企業でも、

儲けるほうが大切な「方々」に向け(ある一党の方々だけを

指しているのはございませんことよ、それではこと足りない)、最後に。

「広告批評」で昔、掲載されたというこのグラビアを

お贈りしたいと思います。これ実行してくださるなら、

もはや「個人的信念」の違い、になるから、

私もまだ、検討の余地、できますよ~♪

ある個人の方のブログ記事なんですが、

天野さん×浅葉さん×糸井さんでつくったらしい

このポスター、私、好きです(笑)

命のレベルで、大好き♪

◎不定点日常観察日記

http://adukot.exblog.jp/18278549/

そこに「英雄的」自己満足は入っていないか

「美味しんぼ」の、福島の鼻血問題に関する内容が話題を呼んでいて、

それについて賛否の意見がいろいろ出されている。

私は、「美味しんぼ」の内容そのものが

嘘だとか本当だとか『判断できる』立場にはない。

公的に是非を言える専門家でも何でもないから。

でもその表現方法について、一個人として意義と異議、

両方を唱えたいと思う。別にマスコミに関わっていたからではなく、

自分が「気持ち悪い」ので、書くことで整理しておきたいのだ。

長くなるけれどお付き合いよろしくです。

私が読んでいて、現在、自分の気持ちにいちばん近いな、と思うのが

The Huffington Post Japan というジャーナルサイトに掲載された

映画監督・舩橋 淳さんの意見。まずそれを挙げておく。

◎HuffPostJapan 2014年05月13日 舩橋 淳

「美味しんぼ」の鼻血問題:敵を見誤ってはいけない

http://huff.to/1jUxHh8

モバイル系で、上記記事がうまく表示できない方はこちらからどうぞ

http://m.huffpost.com/jp/entry/5313031/

今回の記事に関わらず「美味しんぼ」はときどき、

現地取材の「生情報」を加えたストーリーを展開する。

上記で監督もおっしゃっているように、

それは「ドキュメンタリー」と呼ばれる一種の「報道」、

ジャーナリズムであろう。

そして今回のように、現地に関する情報の提供、

およびそれによる問題提起、という

ドキュメンタリー形式を、とるのであれば。

「大勢の人が」という前町長の発言を

そのまま掲載するのではなく、その「大勢」についての

情報も明確にすべきではないのだろうか。

鼻血問題が起きた、その次の回の連載では、こんな記述もある。

「大阪で、受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む

住民1000人ほどを対象に、お母さんたちが調査したところ、

放射線だけの影響と断定はできませんが、

眼や呼吸器系の症状が出ています」

「鼻血、眼、のどや皮膚などに、不快な症状を訴える人が

約800人もあったのです」

ある医師の言葉。これはまだマシだった、数値があっただけ。

大阪は抗議文を発表した、そして雁屋氏に実際、

取材を受けたその医師の方は、

さらに中日新聞の取材で「マンガの記載は事実」と

おっしゃっている。つまり問題提議、である。

さあ、では「事実」はどうなのか。

追跡調査せざるを得なくなっていくと思われる。

◎つなごう医療 中日メディカルサイト

「美味しんぼ」登場の医師「すべて事実。抗議は被災者に失礼」

http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20140513073049244

ただし、ここに載っているのはガレキの話ではなく、

福島県在住の方たちの、体調不良の話。

中日新聞が、ガレキの話を避けたのかもしれない。

私は「個人的に」は、国が隠蔽していることがたくさんある、

と、はっきり疑っている。

だからここからはあくまで自分だけの感覚で言えば、になるが

「美味しんぼ」の内容が風評被害であるとは、実は思っていない。

前町長がマンガ内で主張されている

「福島県は住める場所ではなくなった」という発言は、

誠に申し訳ないが、全地域でないにせよ、

ある一定の真実は突いていると思える。

だって除染したところで、山から汚染水は流れてきているから。

山の木が当時から、そして今後も汚染されつつあり、

その葉が毎年、落葉し、土に還っている。

除染が済んだ地面で、その後またすぐに

汚染が見つかっている場所があるというのも、それゆえに、事実だと思う。

汚染の程度が地域によって違うとはいえ、

汚染は「確かに」されていて、その水をせめて「海になるべく流入させない」、

そこに除染作業の意味はある、と、作業に当たる人が

おっしゃっている様子も描かれていて、そうなのだろうと思う。

そして除染作業に従事する方が、だんだん、

疲労感が抜けにくくなる、という描写もあった。

うん、確かに、それは「延々と続く作業に気落ち」するせい、

だけでないかもしれない。そういう影響が出る人「も」、

いるかもしれない、と、私には思える。

福島原発の爆発前、東京電力が圧力を抜くためのベントを開け、

「爆破前すでに」大量の放射性物質が「一気に」放出され、

そのとき、付近の地域の放射線量がかなり高くなったことも、

当時の報道で、すでに情報が流れていた。

マンガにはない話だが、さらに言えば東京電力の故・吉田所長が、

当時、東電上層部の指示を無視して海水を流入させなければ、

もっとひどい事態になっていたであろう、ということも、

複数の科学者が述べているから、事実なのだろうと思える。

それでも、なお。そう、なお、である。

現段階では、悲しいかな、すべて「原因が特定」できない話なのだ。

であれば、今回の「マンガ」という、広く手軽に読まれる手法で

「大勢」と発言するのなら、その根拠を

推測であったとしても、もっと示すべきたっだと思う。

最初に挙げた記事の映画監督は以前、

福島のドキュメンタリー映画を製作された際、

体毛や髪が抜ける方、に、撮影中、出会われた。

そこで「それをそのまま事実として」映像に撮られた。

そこ、なのだと思う。

監督はそのとき「他にもたくさんいるだろう」とは

おっしゃっていない。「これが今の福島の、

ある一人の方の現実である」と、その方の「姿」を、撮影されたのだ。

大勢、という言葉が「どれほどの憶測」を生むか。

100人をもって「大勢」と言っているのか。1000人? 5000人? 1万人?

福島県に住んでおられる「鼻血の出ていない方」が怒るのも、

その点だろうと。

「○○は、なんと△△△だった!」

という見出しをつけておきながら、記事内では「△△△か!?」と

推測レベルに貶める。駅スタンド売り系のタブロイド紙、

名前を例に出して悪いけれど『夕刊フジ』などがよくやる

「煽り(あおり)」の手法だ。

雁屋氏の今回の表現手法は、報道というよりこの「煽り」に近いと、

私には思える。そしてそれは、ドキュメンタリーではないように思うし、

ただ単純に「問題意識を高めて欲しかった」

「表現の自由」というのなら、無責任なやり方だと感じる。

とくに子どもや老人を中心とした『命』に関わる内容なのだ。

煽っていい話、なのか?

これについては以前、それこそ震災直後の福島県に入って

ボランティアを始められた「てんつくマン」こと、

軌保博光さんたちが当時、流されていた情報に対しても思った。

飯館村に震災5日後に入られたことは、当時、本気ですごいと思えた。

その際、放射線量を測るガイガーカウンターが

危険警告音を鳴らしっぱなしになり、

そのことを即、Twitterで流されたのだ。

リツイート(繰り返し)されまくる「危険! 逃げろ!」的な情報。

だがしかし、この「興奮した状態の声」を聞いて、

自分が今いる地域をガイガーカウンターで測ることもできない、

かつ、道路が寸断され、じゃあもしかしたら

非難する「場所そのもの」が汚染されているかもしれない、と

不安を抱き、救助も援助もまだまだの状態だった

東北のほかの地域の方たちは、あのときいったい、

どこへ逃げればよかったのだ?

飯館村の人たち、ガイガーで実際に測って、

「早く離れろ」とてんつくマンさんたちが直接、

住民の方たちに「声をかけた」ことは、すごくよかったのだと思う

(実際にはすでに大量の放射線のなかで過ごされたあとであったが

それでも、なお、一刻も早く、であったと思う)。

でもそれを皆がリツイートして、他の地域をも「煽る」状態になったとき、

現地の人たちは「いったい、どうしろと!?」という

怒りと不安に見舞われてしまわれたのではないだろうか。

強いて言えば当時さえ、皆で怒り、煽るべきは

「国の対応」について、だったのだと。

興奮状態で扇動しても、決して「よい結果」につながるとは

限らないのだと、私には思えるのである。

実際に体調不良になられており、国や自治体に対する怒りを

今、抱えておられる方からは、何様、と、言われかねない、

これがそういう意見であることは、私も承知している。

でも、命に関わる問題を、憶測でなおかつ、

煽りにもつがなうる手法で訴えるのは

やはり、私には「違う」と思える。

その「扇動的」手法に「してやったり」的な満足感は、

一切、含まれていないのだろうか?

人のため、という「英雄行為」的な満足感は、

長さで表せば「1mmたりとも」入っていないのだろうか?

「ドキュメンタリー」であるのならば、できれば舩橋 淳監督のように

「こういう事実が目の前にある」という、冷静で(ある意味、冷徹で)

客観的な問題提起の形であってほしいと。

そうした姿勢であられるな、と私が思えた記事を最後に2つ、

掲載しておく。マスコミ報道と、個人の方の記事である。

◎東京新聞、のちに中日新聞にも出た、記事の切り抜き。

2011年と少し古いけれど、6月16日(東京新聞)22日(中日新聞)。

画像は中日新聞版。

PCなら全面・拡大表示にすれば、最後まで読めるかと。

子どもの鼻血・・・放射線被害では?

→ http://c3plamo.slyip.com/blog/images/chuniti110622.gif

◎ブログ「カレイドスコープ」

個人ブロガーの方だが、思考が偏っているとはいえ

その指摘が冷静で的確な面も多く、ときどき頷かされる。

内容をまとめる力もお持ちで、よく勉強していらっしゃるな、という印象。

ゆえに今回、掲載してみる。2014年4月21日の記事。

途中と最後には煽りでイヤミな文章が少し入っているが、

せめてブログという手法の範囲でこの程度、にとどめてほしい……

という例示も兼ねてご紹介(あ、この方の出される情報に、

私がいつも全面賛成しているわけではないので

その点は誤解なきよう(^o^;)お願いします)。

「子供の甲状腺の検査はするな!」露骨さ増す国策の陰で

http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2776.html

ふー。長くてすみません。熱くならないようにしなくちゃね、私も。

情報を「広く」探し、拾って、自分でいろいろ検討する力って、

これからますます、必要になるな……。