カテゴリー別アーカイブ: 社会のこと(私の捉え方)

人間対人間 として

時代がそういうとき だったから

あれは正しかったのだと

言い張る方々には申し訳ないけれど

今さ

かの隣の大国が 

日本国内の土地を買っていて

それを侵略準備に違いないと

必死で疑い 怒っておられる方々は

前の戦いで 相手の混乱に乗じて

武器持って乗り込んでいって

はい 今日からここは 私たちの支配する土地です

って 日本人をも移植させたあの行為そのものは

同じようにきちんと 侵略だと捉えるってことかな

今の隣の大国のように

先にお金払って買ってるわけではなく

本当にただ 名目つくって乗り込んでいったわけだけれど

乗り込んでしかも戦ったのは 事実なのに

そこで誰一人 悪いことしませんでした 

ほぼみんな捕虜にしました 完璧でしたとか

思ってるのかな

自分が住んでる場所を

命も奪われる危険つきで 取られたら怒るのに

過去に同じやり方で取ったのは

正しかったのだ と

なぜ 胸を張れるのか

わからんのだよね

人間対人間でのひどさは 同じなのに

金を払わなかった分は

こちらのほうがズルイと言えるかもしれないのに

あれはそういう時代でした?

おしまい?

私は その反省を踏まえて

きちんと 反省したからこそ

不戦 を

非武装 を 

受け入れたのだと

思っていたのだけれど

どうもそれは 太平洋の向こうの国からの

ただの押し付けであり

本当はあのまま 奪い続けていたかった

ひとりの人間としての ひどさを

保ち続けたかった それを望んでたのに ってわけなのかな?

だから今でも再び 相手がやるなら

こっちもやっちゃうもんね と

あの時代の再来を招くかもしれないところへ

わざわざ

自らあえて

飛び込むのが正しいと

捉えてるのかな

人間として 生まれた土地で育ち

そこで幸せになるという権利は

自分たちだけのもの なのだと

胸を張って主張しているように

思えて仕方ない

なぜ今 過去と同じ争い方に通じる道 以外の

やり方を考えようとしたら

売国奴呼ばわりされるのか

本当に わからない

歴史に学ぶ智恵は

私たち日本人には ないと

自国の人から

言われているようにさえ 思えるのだけれど

思想の違い?

自分たちだけが日本のことをちゃんと考えていると

思っておられるかのような方たちが、なぜか選挙への参加権利がなくても

日本のあちらこちらの選挙に応じ、息巻いておられるように感じます。

そして、それ以外の思想の方をあっさり、売国奴と言っておられたりもする。

人殺しの道具を揃えることは

いざとなったら他人を殺してもいいのだ、

なぜなら自分たちが正しいから、と

今、「すでに」主張され、武装されている人たちの考えを

肯定することになります。

そう考えて、自分たちが正しいから

相手を殺してもいいのだ、

相手のほうが間違いで殺してもいい人間なのだ、

と捉えている人たちが世界の中に「すでに」いる。

だから、それならこっちも殺していいのだ、と考えるのは

まるで「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

と言っているかのように、私には思えます。

過去にはそれが、土地と資源の奪い合い、において正当化されました。

もっと昔は、宗教の違い、で正当化されました。

そしてたくさんの命が奪われたあとにようやく、戦いをやめました。

主張の内容の吟味云々ではなく、命を奪う暴力の強さ、

より多く殺し合いに勝ったほうの理論が正当とされる。

その繰り返しが起きてきたのです。

なぜ、原子爆弾を落とされまでした経験のある、

日本という国に生まれた私たちが、

自分側の理由で、相手の人を殺すことを正当化できると言えるのか、

私にはどうしても理解できないのです。

私たちの先祖が、未来のさらなる殺し合いの発展のために、

命を投げ出したわけではなかったと思えるから。

その当時の方々は「今はこのような形になったために仕方なく」

自分たちの家族、子ども、子孫の未来の命のために、

戦場で自分たちの命を懸けてくれたはずだと、

私には、思えるから。

その未来の立場である私たちの命を、将来、少なくとも近い将来なら

積極的に武器を携え他国へ出かけていくなどによって

粗末に扱っていくことになっても、いいのでしょうか。

自分たちがこの先、自己の理由により人を殺していい、と考えるならば、

相手もまた、私たちを殺していいと考えたとしても、

それは違う、とは100%主張できなくなる。

なぜなら正しさ、は、人によって違うから。

相手と同じ土俵に上がることは、結局、皆で一緒に

『命を奪い合う』という同じ罠の穴に落ち込んでしまうことだと、

私には思えています。

人が人を殺すのに、絶対的に正しい理由など、ありません。

相対的、でしかないのです。とくに国という大きさにまで

人をひとまとめにしてしまうなら、なおさら。

一人ひとりの命は、この世に一つしかなく、

消えてしまったら、二度と戻りません。

それが「絶対的真実」であり、それを自分の都合で消すこと、

その点が、間違いなのです。

その間違いを訴えられる、一番の根拠を持っているのが、

日本の各地で空爆を受け、他国軍に上陸され、

原子爆弾の悲惨さまで経験してしまった、

私たちなのではないでしょうか。

だからこそ、マンデラ氏がおっしゃっていたように、

私は、憎むことを学んだように、愛することをも学びたい。

そうした積極的な平和、積極的な融和、

違いがあっても『憎まないですむための双方向の努力』、

そういう形での平和を訴え、求めていきたい。

相手もまた、ひとりの、たったひとつの命を持った人間なのだから。

それがお互い、それぞれに、集まっているだけなのだから。

日本という国に生まれた私たちなら、

「和」の大切さを知っている私たちなら、

きっとそれを、中心となって発信していける……と思う、

この確かに私のなかにある信頼の気持ちは、

果たして右向きなのでしょうか、左向きなのでしょうか?

右、左、という枠が、必要な気持ちなのでしょうか?

私は、過去の先人たちの苦しみの経験を、

未来の子孫が心から安心できる笑顔になるための、

そこへつなげられるための学びとして、

平和を作り出すための学びの道として、

生かしていきたいと、改めて思えます。

武器は、他人の命を奪うための道具でしかない。 

それを持ちたいと願う、今の一部の権力者が望む「土俵」は、

結局のところ自分と周囲の命だけしか大切ではない、

他はどうでもいい、というような「さらなる自己都合の土俵」につながるかもしれない。

そんな危険性を大いに含んだ、今の、ひとつの選択肢としての土俵には、

そもそも私は乗りたくない。

今、話されている武力を持つという土俵、

そこに乗ることを、私はひとりの日本人として、選びません。

私は、この方向を、望む。

たとえ時間が、かかるとしても。

私たちの子孫に

憎しみの種を蒔いて残すのではなく

平和の種を、

蒔いてこの世を去りたい。

物理的な武器ではなく、

心の力を使う。

それが可能であることを

子孫に伝えたい。

我欲に囚われ苦しみ

自分のことだけを考えて他者を

疑い、軽んじ、おびえて苦しむ。

そんな苦しい感情に

振り回されずにすむ世界を。

100年後の子孫が

さまざまな形の「愛」という豊かさを

今よりもっと、享受できるように。

キレイゴトですませるなと

言う人には

疑うことばかりしか

楽しめないのはなぜだと問いたい。

日本に生まれて良かったと思えていて、

日本という国を心から愛しているがこそ、

私はこの形での、平和を望む。

NHK時事公論

2013年12月17日

「マンデラ氏が 遺したもの」

http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/sp/100/175680.html

2013_1217_jiji

画像は、どうしてもそうしたかったので

上記URLよりお借りしました。

武器を扱いたくて諸々の利権を得たくて、

もう我慢できないかのような気持ちが

伝わってきている、とも受け止められる

3本の矢の政策が、

発表されたときだから。

関係をどうやって変えていくのか、

という別の選択肢として、

画像ごと、彼の言葉を表示したく思えました。

ご容赦いただければ幸いです。

今のうちに、ひとまず書いておこう

はい、また例によって、怒られても反論されても

スルーしますよ(^_^;) 私のある面の紹介、なのです。お許しを。

社会の話、秘密保護法案を中心に。

「あえて不安を煽るのか」と言われそうですが、

おかしいかも、と思われることは、書いておきたいのです。

そうならないように、願いもこめて。

かの隣りの大きい国が、土地や海だけでなく、空の領域でも、

他国の軍機が通過すると打ち落としちゃう範囲の、拡張主張。

そして日本の各水源地と、都市部の土地購入もあるね

(南麻布では大使館跡だったかな、を中国側の金持ち? が購入し、

その付近の、長年住んでいる住民の家へ

「ここは我々の土地になった、日本人は出て行け」と、

ビラを投函したり……したらしい。今はどうなっているのだろう)。

隣の小さい国は、国家の一番偉い人が相変わらず従軍慰安婦問題で欧米にPR。

さらにそのお隣の国は、NO.2が失脚、政治混乱中で、

もともとミサイル開発大好き独裁国家。

うん、そして、日本の機密は、お金でダダ漏れになってきた現実もある。

国家レベルの機密情報のうち、海外に漏れてはいけない部分の保護。

それは、とても大事。国際社会で生き抜くためには必要で、

今までルールがなかったのがおかしい。

そのこと自体については私、別に反対してないのよ。

必要な情報は、ちゃんと扱うって話だから。

ネットがこれだけ氾濫すれば、そういうルールも、

これからはきちんとしないといけない、大切になると思える。

でも、「何が重要な機密情報か」を確認する体制すら整わないのに

「保護します」のみ先行します……だから、これだけ紛糾する。

第三者機関による「この情報は保護が必要かどうか」の審議。

審査方法、審査する人の選出。公正さのさらなる確認。

どういうふうにOKが出て、どこでSTOPをかけられるのか、その精査。

米国では厳密に、こうした、保護する過程のルールが定められていて、

チェック体制も決まっていて(もちろん穴はあるかもしれないが)、

そのルールの内容自体は、透明なのだ。

いきなり、各省庁に「これから5年間、機密だと思われる情報を、保護してくれと

申請してこなかったら、その省庁は保護のための申請権限を失うからね」

という脅し文句付きで、チェック体制は不明、曖昧、

保護内容すら「その他」がいっぱい。

それで「国益」を守りますって、ねえ、やっぱりそれ、説明が変だよ。

国益って、国民の利益だよね? 国民を守るんだよね?

で、実際、今、何が起こっているのか。どんな状況なのか。

いくつか、ツイッター経由で拾った情報、挙げてみましょうか。

●アメリカは歓迎ふう、その他海外メディアは、淡々と状況見ている感じ。

秘密保護法案:衆院通過、海外メディアは…(毎日新聞 11/27)

http://mainichi.jp/select/news/20131127k0000m030127000c.html?inb=ra

●すでに原発情報は国会でも秘密、Twitterより新聞記事の写真。

@pirodaikan 「戦後の教科書か?保護法先取り!?

規制庁、福島原発第一原発資料全135ページ黒塗り」 

http://pic.twitter.com/fFshRzpAWc

●女優、松田美由紀さんのTwitter発言。

有名人がTwitterやブログで発言したら、そりゃ何万人だ、すぐにね。

で、見張られる? 盗聴? 捕まる? 処罰?

@MATSUDA_MIYUKI:内閣官房審議官鈴木良之

「秘密保護法案の解釈上、新聞・出版等関係者以外の者が

何万人も来場者があるブログにて

時事評論をすることは処罰対象となる」と明言

http://pic.twitter.com/Q1rWYv9jBt

●こういうのも機密になったら、という不安は出るね。

あの黒塗り資料、実際に見ると……。

甲状腺がんの疑い含む発症率、福島県。

チェルノブイリより、その現れる時期も、増え方も早いとの指摘もあり……。

‏@Tanisennzo:福島の甲状腺検査評価部会発足(11/27)

22万6千人検査済み、うち59名が癌またはその疑い 発症1/3830?

http://pic.twitter.com/tdt0EjbJmF

●ついでに今朝の朝日新聞記事。武器輸出。

禁止でなくなりそうなのに、その内容は国家機密になるんだろうな……。

裏資金やら、囲い込みやら。原子力ムラ的利権「武器で再び!」かも、と。

すまんね。疑っちゃうよ。三菱重工、富士重工、フランス、アメリカ……喜びそう。

http://ow.ly/ruuD5 

てなことで。

はい、もちろん、私も恣意的に、このテの方向の情報を、拾い集めています。

だから「自民党とアベさまがやることに間違いはない!」という方には

腹立たしい限りであることは、重々承知しております。

が。しかし。

これさ、言論統制&軍事化の「はしり」では、本当に、本当にないの?

むげな暴走しないよう、この体制で、誰がチェックできるの?

それについて、そうでない、と言い切れる人は、今の日本にいないと思うんだけど。

アメリカその他からお金☆利権、両方ほしいのね、アベさま、と疑われても仕方なくない?

と、私には、思えるんだけど。

子どもや孫が将来、徴兵されなければいいね。

国益のため海外へ出かけて行って、他の国の人を守るため、

海外の人を、恐怖に耐えながら撃ち殺さねばならない事態に、

また、武器を持って歩いているのに、いつ殺されるかわからない不安におびえる事態に、

あなたの子孫や友達の子どもや孫たちが遭遇しなければいいね。

再稼働しても地震・津波による原発破壊・放射能汚染はもう起こらなくて、

居住不可能な地域が、これ以上、増えないって保証がもらえたらいいね。

子どもたちの甲状腺がんの増加も、

原発由来の放射能汚染と「関係は確実には認められない」とかさ、

どこかの医師がお墨付きを与えてくれたらいいね。

そうした必要性の理由も、根拠となるデータも、今のままだとたぶん、

私たち国民には何かといろいろ、もしかして全部、秘密だろうけれど。

だからといって調べたり、世間に訴えたりしたら、見張られたり、

盗聴されたり、処罰されたりになりうるけど。

私は、右翼ではないけど、別に左翼でもないよ。

戦争反対、ではなく、平和を祈念する者であり、

人の命や、日本や日本以外の地球の命や、自然環境、

人々の平穏な温かいくらしの営みが大切であり、

「思いやり」や「愛」はやはり、

人間同士の間で不可欠だ、と感じている者だよ。

その私が、今、おかしい、と感じていることです。

一方的に述べて、不愉快になられた方がいらしたら、どうかおゆるしください。

少し、怒っていますので、その感情にとどまりたくなくて、

自分で気持ちを整理してみました。

何をすればいいのかな。私でできることあるかな。

そちらに気持ちを切り替えたい。

だから今は、ご容赦くださいm(_ _)m

ある意味、職業病的な……(^^;)

私は本ブログのほうで、あえてプロフィールに、

商業的勧誘の「ペタ」や「なう」は申し訳ないですが削除いたします、と明記している。

じつは「ボクのブログも読んで読者になってね、よろしく!」というコメントにも、

全件、「お詫び・お断りメッセージ」をお送りして(手作業)、削除させていただいている。

これにはいくつか理由がある。

ひとつには、心を痛めている人に「苦しいでしょ、お金も大変でしょ、

儲かりまっせ、うふふドキドキ」的な誘いをして、実際にはその人を儲けさせるのではなく

自分が儲けようとするように思えるものは「腹黒い」よな、と感じるから。

痛んでいる人をそのような黒のターゲットにはしてほしくない、「商売」として、と感じるのだ。

たとえばネットビジネスの場合、どうやって儲けられるかは秘密にしていて、

そこの手法を売ります、がほとんどである。

かといって、自分が「本当に儲かっている証拠」は、きちんと提示されているわけではない。

では本当なのかどうかを、相手にどうやって信用してもらおうとしているのか。

その部分を、真剣に訴えてくれていないように感じてしまうのだ。

騙されるかも、と思えてしまう。

たとえ、すごくいい手段であっても、その良さを「儲かりまっせドキドキ」的な言葉以外には

ちゃんと提示せず、あるいは、とにかく情報を売ってしまえばいい、という発想って、

怖い目に遭った人へ「怖いでしょう、だからこのツボを持っていたら

安心ですよ」と誘う(^^;)、
そんな方面の商売に近い、と勘違いされても、仕方なくないかな?

買うほうにとっては、当たるかどうかわからない、博打になってしまうもの。

それに、情報でなくて商品、であった場合。

ただ、自分の好きな、宣伝したい商品をアフィリ化して羅列し、

しかもブログタイトルや記事名をただ単純に、その商品名にして

「押して」

というだけのものは、さすがに手抜き過ぎだろう……と、私は感じてしまう。

あのジャパネットたかだだって、社長自ら、商品の良さを試演販売している。

シンプルだけどそうやって、「ものを売るため」の創意工夫はしているのだ。

「それがなぜいいのか」を感じさせないタイトルで、記事を押してもらおうと?

で、たとえば数作戦、とばかりに、ハンドルネームを延々、変えて、

商品をブランド別にしてるかもしれないけれど、いろんな人間がペタぺたペタぺた。

うん、昭和30年代の「ゴムヒモ訪問販売」みたいな、

猪突猛進オンリーのマーケ手法だよね。

私は、雑誌のときは「読者のこと」を「考えざるを得なかった」し、

SPツールや営業宣伝の考案はもろ、「顧客の心をどう掴むか」ばっかりだったし、

他社競合で、企業媒体の制作の取り合いっこをしていた時代には

「他より抜きんでてお宅さまのことをこんなふうに、必要な方へ向けてお伝えしますよ」

そんなコンペの連続だった。

たとえレベルは低くても、相手のことを自分なりに考えないマーケや宣伝なんて、

やったことないのである。

で、そんなことを延々、仕事としてきたがゆえに、

よけいに「心地悪く」感じてしまうのだ、たぶん。
普通の人なら、「ああ、何かやってらっしゃるなあ……まあ、がんばって」と

流してしまわれるであろうことなのに、今のところ私はガッツリ、

「ダメ」とか

「届かない、これ」とか

感じてしまう。

見た瞬間、自分のなかの何かが(笑)勝手に評価・採点してしまうのだ、職業病的に。

だから、そのうちいつか、まあいいか、と流せるようになるとは思うのだけれど、

せっかくいっぱい押してくださったり、

なうのフォローやら、コメントやらしてくださっている人もいて、

本当に申し訳なく存じる次第なのだけれど……。

ごめんなさい、私が心地悪く感じるものは、消します、はい。

それなりに「気を惹く」努力をされているように感じられる方々については、

少しずつ、残していけるようになってきていますが(^^;)、

私のなかの、私の勝手な判断で、たいへん申し訳ないです。お許しください。

アフィリエイトという手法自体は、別に全然、否定してないのですよ~。

そこは本当にそうなのです。

お互いがよかったと思えるように「使える」なら、ステキな手法だと思っているのです。

と、口先で言っているだけでも何なので、そのうちいずれ、私も、

別途「図書館&雑貨屋」っぽいものを、実験くん、ということで作ってみますね。

自分好みのものが並ぶ、マニアックなヤツ(笑)ついでにアフィリつき。

そこでは「プチ訴求」レベルで、商品の良さなどを伝えてみたいと思います。

……たぶん、ここで本や雑貨等を、いくつも紹介したのち……いつか。

てなことで、すみません、ごめんなさい、どうにもこうにも職業病的なものですので(^^;)、

本ブログでの「削除」という冷たい仕打ち、どうぞお許しくださいませm(_ _)m

いつかは、気にせずに流せるような、大きな心を持てるよう、

今後も努力いたしますので……。